廻る運命の中にある唯一つの真実  前編







「ダメ!!」

自分の叫び声と共に、絢香は眩しさで閉じていた眼を開く。

「我が君?」

絢香の声に一歩前を歩いていた禰禰が振り返る。

「ちょっと、急に黙り込んだと思ったら。今度は、いきなり何?びっくりするじゃないのさ」

隣にいた迦楼羅が眉を寄せた。

「……うそ、さっきまで竜ノ死村に居たのに」

絢香が周囲を見渡すと、竜ノ死村へ向かう途中に見た景色であった。

「何、寝ぼけてるのさ。今、その竜ノ死村へ向かってるんでしょうが……」

迦楼羅が呆れて溜息をつく。

「今から向かってる……?」
『伊勢崎に代々伝わる、龍の逆鱗だ。これが、必ず神子を最初の時間に戻してくれる』

要の言葉を思い出し、絢香は自分の首にかかっている逆鱗のペンダントを見る。
さっきまで綺麗な色をしていた龍の逆鱗は、今では色をなくしセピア色に変わっていた。
ペンダントを震える手で包み込むように触れると、絢香の頬を幾筋もの涙がつたう。

「戻ってきてしまった……私を助けてくれた、伊勢崎君を見捨てて……私だけ、戻ってきてしまった……」
「絢香様……」

その場に泣き崩れる絢香を朱璃が支えて、ハンカチで涙を拭く。

「何があった?」

異変に気づいた刹羅が問うと、絢香は嗚咽に体を震わせながら今までの体験を話し始めた。




「我が君のお言葉によると、村の付近で何者かが幻惑香で我々を我が君から遠ざけようとしていると考えて。まず、間違いはないでしょう」

絢香から大体の話を聞いた禰禰は、檜扇で口元を覆い隠す。

「一体誰が、何のために?こっちに来て日も浅い絢香を、幕府がもう見つけたってわけ?」

迦楼羅が眉を顰める。

「だが、噂にはなりつつある。お前がこの女と王印の契約をした時、北西の地力が上がった」

刹羅が禰禰に顔を向け、絢香を指した。

「地力って何?」

朱璃に元気付けられて泣き止んだ絢香が、赤くなった眼を刹羅に向ける。

「土地神が持つ破邪の力だ、高ければその土地は厄災の影響を受けない」
「土地神は、八方位を守護する天神の眷属になります。北西を守護する天神は風天、不肖ながらこの私が眷属となって北西の土地を守らせていただいております」

刹羅の短い講釈の後に、禰禰が付け加えるように言った。

「天神は唯一、帝の言葉に従う。地力を上げておけば、後々良い事があるかもね」

迦楼羅が人事のように言った。

「ねぇ、西の天神と土地神は誰だか解る?」
「さぁね、天神と眷属の相関は内裏の秘密事項だから俺も知らないよ。本人に聞くしかないね」
「なら、伊勢崎君に会って確かめないと」

迦楼羅の言葉に頷くと、絢香は懐から龍の飾り細工が施された小さな香炉を取り出す。

「刹羅、この香炉に覚醒香を調合して」
「……良いだろう」

刹羅は香炉を受け取ると、懐から取り出した道具と原料で調合し始めた。



「これで、十度目の運命……。神子、これが最後の運命だ。どうか、選択を誤らないでくれ」
「伊勢崎君、もう、やめなよ。あの女を信じるの」

小高い丘から村を眺めている要の後ろに、茉莉が立った。

「茉莉、神子を信じろ。私なら、大丈夫だ」

顔を覆っている布により、要の声は篭っていた。

「香炉は渡して無いんでしょ?今度は、あの女は来ないかもしれないよ?」
「なら、賭けをしよう」
「賭け?」
「今度は、茉莉。お前も私と共に、神子を出迎える。その時の反応で、どうするかを決めれば良い」
「もし、前と変わらなかったら?」
「その時は、神子は帝にはなれない。その程度の器だった、それだけだ」
「……解った」

茉莉が頷くのを見ると、要は入口付近にある崖の所まで移動し始めた。




「皆、香炉の匂いに集中して。今度は、逸れないように気をつけてね」

覚醒香を焚いた香炉を持った絢香が、ゆっくりと霧の中へ入る。
それに続いて、他の4人も入っていった。

「我が君、霧に混ざって強い妖狐の力を感じます。それもかなり、霊力を持った狐です」

鼻をヒクつかせた禰禰が言う。

「妖狐の力…。伊勢崎君が肩を砕かれた時、確か、妖狐の力かって閃光が来た所を睨んでいた」
「その狐、明らかに味方じゃないね」

迦楼羅が面倒くさそうに口を開いた。

「急ごう、何が起こるか解らないから」

そうして少し歩くと、絢香の目の前には一度見た場所が現れた。
右斜め上の崖に視線を移すと、二人の人物が立っている。
要の隣にいる白髪で緑の瞳の青年が驚いた顔をして、絢香を見ていた。

「何とも面妖な、君は何者かね?」

顔を隠した要に警戒した禰禰が、絢香を庇うように立ちはだかる。

「禰禰、大丈夫。彼は、敵じゃない」

禰禰の後ろから出てくると、絢香は要に近づく。

「今まで、忘れていてごめん。今度は、私が貴方を助けるよ」
「……今度は、あるべき姿の運命になりそうだ」

要が静かに口を開くと、顔を覆っていた布を取り去る。

「伊勢崎家第30代目当主、名は要」

要が凛とした声で名乗り出た。

「神子、今なら分かるだろう。今、この村は巨大な妖狐の力に支配されている」

要が厳かに口を開く。

「うん、この村は何かがオカシイ……」

どこにでもある平和な村に潜む、見えない恐怖を絢香は本能的に感じ取っていた。

「神子、妖狐に気づかれる前に手を打たねばならん。まずは、伊勢崎神社へ向かえ」

要は村の入口を指す。

「解った」
「茉莉、行くぞ」

絢香が頷くのを見ると、森の奥へと去っていく。
茉莉も要の後に続いて去っていった。



村に入ると、村人達は前と変わらず祭りの準備で忙しそうに動き回っていた。

「やっぱり、祭りの前日に戻ってきたんだ……」

以前見た風景と、同じ風景を見回しながら絢香は呟く。

「おや、団体のお客さんが来るなんて珍しいねぇ」

明るい年配の女性の声が聞こえ、絢香が視線を向けると以前声を掛けた女性が変わらず朗らかに立っていた。

「あ。あの時は、お礼も言わずにすみませんでした」

初めて会った時にお礼を言う暇も無く要に連れて行かれたことを思い出し、絢香はペコリと頭を下げる。

「何を言ってるんだい?アンタに会ったのは今日が初めてさ」

可笑しな子だねぇと言う風に眉根を顰めた。

「え?だって……」
「無駄だ、神子」

前の記憶がある絢香が戸惑っていると、背後から要の声が聞こえ振り返った。
着替えてきたのか、和服から学ランに変わった要が絢香の後ろに立っている。

「要様、今日はもう学校は終わりですか?」

絢香の後ろに居たあの女性が、前と同じセリフを要に言う。

「あぁ」

要も同じようにただ短く頷くだけであった。

「あれ?もう一人居なかった?」

さっき見た白髪で緑の瞳をした少年の姿が見えず、絢香は周囲を見渡す。

「茉莉は、学校以外村には近づかない」

要が言葉を発すると、今まで祭りの準備で煩かった雑踏が一瞬にして静まり返った。
老若男女、村人全員が要に視線を向けたまま動かない。
さっきまで目尻を下げていた女性でさえ、無表情で要を見ていた。

「え?え??何か、禁止ワードでも言った?」

急に変わった周りの空気に、絢香は戸惑いを隠せない。

「落ち着け、神子を見ているわけではない」

そう絢香に言うと、要は一歩村人達の前に歩み寄る。

「案ずるな、茉莉は例年通り龍神祭には参加はしない。遅れることのないよう、準備を進めてくれ」

要の言葉を聞いた村人達は、再び持ち場に戻ると何事も無かったかのように作業を再開した。

「……おかしいよ、こんなの」

先ほど、静まり返った場の空気に恐怖を感じた絢香が小さく呟く。

「いいや、こういった集団心理は、村単位の小さな集団には起こりえる現象だよ」
「私は、そんな生易しいものではないと思うがね。強いて言うなら、斉一性の原理(せいいつせいのげんり)と言った方がしっくりするよ」

迦楼羅が言った言葉に、口元を扇で隠しながら禰禰が答えた。

「集団心理と斉一性の原理って何?解りやすく、噛み砕いて教えて」

刹羅に視線を向けて、難しい言葉の解説を促す。

「……集団心理とは、ある集団が、合理的に是非を判断しないまま特定の流れに流される事を指す。特に、精神的に未成熟な子どもにこの傾向が強い。次に斉一性の原理は、集団が異論の存在を許さず特定の方向に進んでいく事を指す」

溜息をつきつつも、刹羅は絢香の要望通り要点を纏めた解説をした。

「神子、あとは辰ノ淵で話す」

それだけ言うと、要は歩き出す。
絢香達もそれに続いて、辰ノ淵に向かって歩き出した。



同刻、茉莉はあの崖で黒いスーツを着た男と会っていた。

「今度は違う運命を選んだのだな?」

男の言葉に、茉莉はただ一つ頷く。

「そうか。時が満ちた……」
「え?」
男の様子をいぶかしんだ茉莉が、一瞬だけまばたきをした。
目の前にいたのは、黒色の短髪が金色の長髪に変わり、同色の狐の耳と4本の尻尾持った妖狐が立っている。
黒のスーツを着たその妖狐の尻尾は、4本中一本だけが銀毛であった。

「さ、三本の金(くがね)尾と一本の銀(しろがね)尾を持つ妖狐……」

伝説の妖狐、金毛九尾の妖狐玉藻の力を取り込んだ妖狐の話を知っていた茉莉は声を震わす。

「礼を言うぞ、茉莉。お前に埋め込んだ呪詛の種が、成長した」

男が一歩歩み寄ると、反射的に茉莉は一歩後退する。

「呪詛の種?」
「そうだ、お前が無意識に溜め込んだ伊勢崎要への憎しみの証だ」
「違う!伊勢崎君は僕を助けてくれる!憎んでなんていない!!」
「事実は時として簡単に曲げられる、伊勢崎がそう仕向けていると何故気づかない?」
「え?」
「何故、お前が身に覚えの無い迫害を受けるのか。全ては、伊勢崎要が知っている」

そう言うと、男は右手の人差し指と中指の二本を茉莉の額に押し当て陰陽術の呪文を唱え始めた。



辰ノ淵

「伊勢崎君、ごめん。貴方から貰った逆鱗のペンダントが……」

そう言って、絢香は色褪せたペンダントを見せた。

「……そうか。前の私は、神子の役に立てたのだな」

静かにそう言うと、要は色褪せた逆鱗に触れる。
すると、セピア色の逆鱗に幾筋ものひびが入りそのひび割れた隙間から眩いばかりのオーロラ色の光が漏れ出した。

「え!?何!?」

絢香は驚き、眼を見開く。
周りに居た者達も、その光輝く逆鱗に眼を奪われていた。
光り輝くその鱗は、脱皮をするようにセピア色の皮を脱ぎ捨て再びオーロラ色の逆鱗に変わる。

「神子、ヴァルナが呼んでいる」

急に要は逆鱗から手を離すと、ヴァルナの社がある方角を指差す。

「……は?」

何の前置きもなく話が変わり、一瞬間が空いた絢香であったが、指した方向へ行けと言わんばかりの要と流れの速い滝壺を交互に見た。

「昨夜、夢でヴァルナのお告げがあった。ヴァルナの社から神槍の矛を取り出せるのは、神子しかいない」
「ムリムリっ!!?流れが速くて泳げないよっ!!?」

要の言葉に絢香は首を横に激しく振る。

「そうです、絢香様が溺れてしまわれます」

朱璃が絢香を庇うようにして要に立ち塞がった。

「この運命には必要なことだ、下がられよ」

要が淡々と答える。

「お聞きするわけには参りません」

眉を寄せた朱璃が、ハッキリと答えた。
暫く沈黙が続いたが、その沈黙を破ったのは意外にも刹羅であった。

「この女は、溺れることはない」
「え?何で?」

意味深な刹羅の言葉に絢香は眉をひそめる。

「すぐに解かる」

それだけ言うと、刹羅は絢香を突き飛ばす。
不意打ちの出来事に、絢香は何も出来ないまま身体は滝壺に吸い寄せられた。
絢香はすぐに襲ってくるであろう、水圧と息苦しさに備えて眼を閉じ、身を強張らせる。
しかし、トランポリンに尻餅をついたような感触に目を開けた。

「……うそ……」

水面の上に座っている、という普通ならあり得ない現象に絢香はただ驚くばかり。
刹羅と要以外の三人も同様に驚いていた。

「……どうゆうこと?」
「詳しくは俺にも解からんが、都に向かう際、お前が吊り橋から落ちた時に同じ現象が起こったのを覚えていた」
「あの時、だから着物が濡れていなかったんだ。へぇ、疑問に思っていたんだよ」

刹羅の話に、絢香は濡れていない服を見て納得した。

「神子、立てるか?」
「うん、何とか」

要の問いかけに、手で水面の強度を確かめてからゆっくりと立ち上がる。
立ち上がっても身体が沈みこむことなく、陸地と同じように立っていられた。

「わあ、凄い……」

軽く飛び跳ねたり、足踏みしたりしたが、軽く水面が揺れる程度で落ちる気配はしない。

「この世界の妖怪達って、普通に水面歩行出来るの?」

ふと、疑問に思った絢香が口を開く。

「バカ言わないでくれない?水属性の天神や土地神ならいざ知らず、どんな上級妖怪でも出来ることと出来ないことぐらいあるんだけど」

迦楼羅が空中から片足だけ水面に投げ出すと、靴のつま先が水面に埋まった。

「じゃあ、私だけ祠に行って来るよ!」

自分だけが誰も見たことがない祠を見られることに興奮して、絢香は滝に向かって走り出す。
滝の裏側を覗き見ると、さほど大きくない洞穴にすっぽりと収まるサイズの祠があった。

「ん?扉の前に大きな勾玉が……」

扉が硬く閉じられた祠の前に、無造作に置かれた掌サイズ程の深い翡翠の勾玉を手に取る。
すると、勾玉が淡く光り、じんわりと熱を持ち始めた。
次に祠の扉を摘んで開けようとしたが、鍵が掛かっているのかびくともしない。

「あら?鍵がかかってる」

何度か動かしてみたが、開く気配は無い。
絢香は諦めて戻ることにした。

「祠は開かなかったけど、勾玉を見つけたよ」

皆が待つ陸地に戻ると、絢香は手の中にある翡翠の勾玉を見せた。

「ほう、これは見事な勾玉だ」

絢香の手から勾玉を受取ると、要はまじまじと見る。

「持ってきても良かったのか、解らなかったけど」
「何も異変がない、大丈夫だろう。祠の扉も時が来れば、おのずと開く」

そう言うと、要は勾玉を再び絢香へ返した。

「え?私が持っていても良いの?」
「問題ない。神子が持つに相応しいと、そう判じた。勾玉は悪しき物を追い払い、翡翠は無病息災の効果がある。必ずや、神子の役に立つだろう」
「解った、ありがとう」

絢香は勾玉を懐に仕舞う。
同時に、血だらけの少女が草むらから出てきた。

「か、要様!お助けください、要様!!」

片目を潰したのか、血まみれの顔を抑えている少女は前の運命で絢香が一緒に舞殿を掃除したあの少女であった。

「南条 花梨か。どうしたのだ、その怪我は?」

4家存在する氏子の一族の少女に要は近づく。

「お、鬼が!いきなりアイツが村に来て、暴れているんです!!」

南条は、持っていた龍神の矛を要に渡しながら早口で捲くし立てる。

「まさか、茉莉が……」

矛を受取った要は、村の方角へ走り出す。

「朱璃は、あの子の手当てをお願い!私たちも行きましょう!!」

絢香も要を追って走り出した。