廻る運命の中にある唯一つの真実  後編






村に戻ると、家屋は壊され、人々の阿鼻叫喚が支配する地獄絵図になっていた。
その絵図の中心には、両手の爪を血で真っ赤に染め上げ、白髪を振り乱した鬼が立っている。

「茉莉……」

額が大きく裂け、そこから忌まわしい原色の根が出ている鬼に要は憐れみの声を漏らす。
暗く濁った緑色の目が、要を捉えた。

「10度目の運命で辿り着いたか」

急に威圧感を含んだ声が、茉莉の近くから放たれた。
声がした方に視線を向けると、金と銀の4本の尻尾持った妖狐が立っている。

「4尾の妖狐。お前が、元凶か」

要は、巨大な妖力を持つこの妖狐に鋭い視線を向ける。

「否、元凶は伊勢崎 要。お前自身だ」

妖狐が不敵な笑みを浮かべた。

「伊勢崎君!!」
「来るな、神子!下がっていろ!!」

追いついた絢香に下がるよう言うと、要は矛を構える。

「私が、怖いか?和泉」
「え?」

妖狐と目が合った絢香は、聞き覚えのある声に目を見開く。

「せ、先生……?」

変わり果てた教師の姿に戸惑っていた絢香だが、聞き覚えのある声に耳を疑った。

「我が名は、安倍吉鏡(あべのききょう)。齢千年を超えし妖狐」
「……これは面白い、安倍の者が妖怪になって生き永らえているとは」

円月輪を構えた禰禰が言った。

「お前達の相手は私ではない」

妖狐吉鏡の言葉とともに、茉莉の爪が振り下ろされる。
周囲に鋭い疾風が吹き荒れ、絢香達の血が舞った。
中でも、茉莉の近くに居た要のダメージが一番酷い。

「……み、神子、逃げろ」
「伊勢崎君!?」

胸元を大きく切り裂かれた要が絢香の許へ来た。

「茉莉に、この地に住まう精霊達の力が集まっている、次は今以上の力が襲ってくるぞ」
「こいつを逃がすのは賛成だけど、いい加減、本当のこと教えてくれない?」

頬についた切り傷を乱暴に手で拭いつつ、迦楼羅が言った。

「この土地の土地神は山神。茉莉は……、自然の精霊達を統べる山神の末裔だ」

伊勢崎家で隠していた茉莉の正体を口にし、要の声は懺悔の念で震えていた。

「山神とは言え、随分と堕ちたものだ。あの姿は、まさしく鬼だ」

頭に2本の角を生やし、鋭い牙と爪を持った茉莉を見やり刹羅が言う。

『ど…して……、だま…した…な……』

血の涙を滴らせ、要の方に顔を向けた茉莉の口からゆっくりと言葉が紡がれる。
空は厚い雲に覆われ陽は翳り、茉莉の周囲に倒れ息を引き取った村人達が次々と起き上がりだした。
一歩、また一歩と死体が生々しく近づいてくる度に、絢香は恐怖心から足が竦みだす。

「神子、大丈夫。次は、1人で淵まで行けるだろう」

優しく微笑むと、要は今まで村人だったモノ達へ走り出す。

「伊勢崎君!!」

嫌な予感がした絢香は、懸命に手を伸ばすが虚しく空を掠めるだけであった。

「我が君、我々は伊勢崎殿の援護に向かいまする。急ぎ、淵までお戻りください」

禰禰の言葉を最後に、見知った顔が次々とこの場を去っていく。
絢香は1人、立ち尽くした。

「この世に、天道は二人も要らない」

吉鏡の口から天道と言う言葉が聞こえ、視線を向けると、額に禍々しい緋色をした天の印が見て取れた。

「和泉、二度とこの場所へは戻らないと言うなら。生徒のよしみで見逃してやる」

そう言うと、吉鏡は力の差を見せつけるように強力な陰陽術を放つ。
大地は割れ、隆起し、地形が変わっていった。

「(逃げちゃだめ!逃げちゃだめ!!今度は逃げないって、決めたでしょ!!!)」

逃げ出したい気持ちを必死に抑え、絢香は拳を握り締めて皆の戦う姿を見つめた。

「やめておけ、残った所でただの人間のお前に何ができる?」
「……確かに、私は人間で、皆みたいに戦えないし。正直、怖いし、死にたくもない。楽士として歌っても、勝てる気もしない。けど先生、仲間を見捨てるようなかっこ悪い真似はしたくないんだ」

自分でも驚く程の静かな声音に、絢香は自然と身震いが収まるのを感じた。

「……良い眼だ。だが、終わりだ」

持っていた日本弓をしならせ、狐火の矢を放った。
青い炎の鋭い矢が、絢香に向かって空を切る。
反射的に眼を閉じたが、金属物が壊れる甲高い音で眼を開けた。

「やはり、レプリカでは耐えられなかったか」

根元部分を残し、粉々に砕けてしまった矛先を見つめながら要が静かに言う。
軌道が逸れた矢は、斜め後方で矛先の欠片を地面に縫い付けていた。

「伊勢崎君……」
「お前の覚悟、しかと見届けた」
「怪我は大丈夫?」

絢香は、目の前に立った要の血に染まった衣に眉を寄せる。

「傷は塞がった、問題ない。神子、ヴァルナの矛を取りに行っては貰えまいか?」

矛先が折れた槍を構えたまま、要が言った。

「解った、待ってて!すぐ、取りに行って来るから!!」

絢香は辰ノ淵へ向かって走り出す。
辰ノ淵へ辿り着くと、村から逃げてきたのだろうか負傷した村人達で溢れ返っていた。

「朱璃!朱璃!!」

比較的軽傷で動き回っている人に混ざり、忙しなく動いている朱璃に声をかける。

「絢香様!お怪我はございませんか!逃れてきた方達から、村は地獄と化したと聞き及んでおりました」
「私は大丈夫!ごめん、もう少しそこで頑張って!!」

手伝う余裕がないことを謝ると、そのまま滝壺を目指して走った。
地面の終わりが近づくにつれ、滝壺へ走る絢香を見た村人達が口々に危ないから戻れと声を上げる。

「大丈夫、今度もいける気がする……」

雑踏には眼もくれずに絢香が呟くと、懐にあった勾玉が是と伝えるように温かくなった。
底が見えない深い青を湛えた水面へ飛び出す。
何も知らない村人達は、当然のように悲鳴を上げた。
しかし、祠に真っ直ぐ向かう絢香の耳には届かない。

「お願い!今度こそ開いて!!」

絢香は再び祠の前に立ち、小さな取っ手を勢いよく引っ張った。

「どうして!?何で、開かないの!?」

押したり引いたりしたが、木造の小さな扉はガタガタと音を立てるだけで開かない。

「お願い!開いて!矛を持って、村に戻らないといけないのに!!」

さらに力を込めて開けようとするが、状況は変わらなかった。
時間がない焦りから、絢香は声を荒げる。
その瞬間、懐の勾玉が存在を誇示するように強く輝いた。

「わっ!?眩しい……」

急に顔の下から光が差し、絢香は反射的に眼を閉じる。

『どうか、この村を頼む』

どこからか、男の声が聞こえた。
絢香が眼を開けて辺りを見渡すが、この場には誰も居ない。

「……何か居る?」

今まで何の気配も感じなかった祠から、貸すかに気配が感じられた。
光が収まりつつある勾玉を懐から出し、祠の元の場所へ置く。

「お願いします、力を貸してください!今、村が大変なんです!伊勢崎君が必死に戦っています、矛を折られても諦めずに戦っています!このままだと、全員死んでしまいます!お願いです、この村の守り神なら力を貸して!閉じこもっていないで助けて!!」

絢香の願いが通じたのか、頑丈に閉じられてた祠の扉が外開きに隙間を作る。
ゆっくり手前に引いて扉を開けると、中には刃が欠けて錆付いた矛が祭られていた。

「これが、ヴァルナの……本物の龍神の矛?」

形や大きさは似ていたが、やはり祭り用のレプリカとは違い装飾は刻まれた模様のみの質素な物であった。
不安になった絢香に、勾玉は脈動打った光でこの矛が本物であると示す。
絢香は矛へ手を伸ばすと、矛が鮮やかな緑色に発光してヒビが入り始めた。

「うそ!?壊れる!?」

ヒビが入ったことに驚いた絢香は、矛を引っ掴む。
絢香の指が当たった所の錆びが剥がれ落ちた。

「翡翠の矛だったんだ……」

錆びが剥がれ、露になった部分は勾玉と同じ翡翠で出来ていた。
錆び付いた部分を取り払うと、側面が硝子のように透けた綺麗な矛が現れる。
矛を抱きかかえ、絢香は来た道を引き返した。