覇道 天道






「……そんな」

絢香が戻ってみると、目の前には倒れた仲間の姿が眼に入った。

「ほう、龍神の矛を見つけたか」

隆起した地面の先に人間姿の吉鏡が立っていた。

「どうして、こんなことするの?」
「今は知らなくていい」
「神子!!」

頭から血を流した要が、絢香と吉鏡の間に割って入った。

「しぶとい男だな、伊勢崎要。今回は挨拶程度に顔を出しただけだ、遊びはまた次の機会にでもしよう」

吉鏡の足元から青い炎が燃え上がり、一瞬のうちに姿を消した。

「(逃げたか……いや、見逃して貰ったと言う方が正しいか)」

顔を伝う血を袖で拭うと、要は吉鏡が消えた場所を睨みつけた。

「伊勢崎君」
「あぁ、ご苦労。妖狐は去ったが、まだ茉莉が残っているからな」

要は振り返りざまに絢香が持っていた矛に手を伸ばした。
突然、矛が輝きだし二人は矛が放つ緑色の光に一瞬で飲み込まれる。
絢香と要はゆっくりと瞼を開くと、木々の葉が真っ赤に色づいた秋の山の中に居た。

「ここは…?」

絢香が周囲を見渡しても、さっきまで見ていた風景は無かった。

「どうやら、この矛が見せている記憶らしい」

要は近くの木に触れようとしたが、手が簡単に通り抜ける。
反対の手には矛を先に頂いた、翡翠の神槍が握られていた。

「綺麗……」

槍を握る要の手の平が見える程、透明度の高い翡翠の槍を見た絢香が声を漏らす。

「あぁ、これか。矛を握った瞬間、槍に変わった。これがヴァルナが実際に使っていた龍神の槍なのだろう」

要は木から離れ、絢香の近くへ行く。
その時、大きな地鳴りが起き、地鳴りに驚いた鳥達が一斉に空へと飛び立った。

「な、何!?」
「神子、記憶の中とは言え何が起こるか解からん。離れるなよ」

要は絢香を背中に庇うと、周囲を警戒し始めた。
風の音もなく、周囲は静寂に包まれる。
すると、二人の頭上を二つの黒い影が横切った。
そして、付近の木々をなぎ倒して二人分の人影が空から降ってくる。

『もう止せ、山神よ』

立ち上る土煙の中から、静かな男の声がした。
風に煽られ、土煙が去ると要と同じ槍を持った1人の男が現れる。
男の藍色の髪からは二本の龍の角が生え、両耳の先は尖っていた。

「わぁ、あの人伊勢崎君に少し似てる」

白磁のように白い横顔を見た絢香は、自分を庇うように前に立つ要の横顔と交互に見た。

「………」

しかし、当の要本人はオーロラ色に光輝く羽衣を纏った男をただ静かに見ていた。

『ダメだ、もう時間が無い。お前なら解かるだろ?龍神よ』

目鼻立ちが整った藍色の髪の男と対峙している精悍な男が口を開く。

「あ!!あの声は!!」

祠を開ける際、洞窟で聞いた男の声と同じ声音だと気付き絢香は声を上げる。
しかし、龍神と山神には聞こえないのか二人は絢香達の方へ顔を向けることは無かった。

『お前1人が犠牲になることはない、その身の内の邪気を祓えばよい』
『それはムリだ。今は辛うじて気力で押さえているが、もう殆ど俺の魂は邪気に飲み込まれている』

絢香が持っている物と同じ翡翠の勾玉を首から提げた山神が言う。

『気をしっかり持て』
『すまない、すまない龍神よ。俺は、お前の巫女である伊勢崎の巫女に恋慕を抱いてしまった。この浅ましい心を、鬼の邪気につけ込まれたのだ』

山神は両膝を折ると、頭を抱えた。

『私は気にしない、共に助かる道を探そう』
『もう遅い、この身はやがて鬼と化す。そうなれば、理性は無くなる。俺は、お前と共に守ってきた村人達を手にかけたくはない。お願いだ、俺が鬼になったらどうか俺を討伐してくれ』
『愚かな、この私に他の誰でもないお前を手にかけろと言うのか』
『そうだ。俺は山神としての誇りを失いたくは無い、だから村に手を出した悪鬼として葬ってくれ』

血の涙を流す山神の頭からは鬼の鋭角が生え始め、口元からは鋭い牙が見えた。
そして山神は、鋭い爪を生やした両手で顔を覆い隠すともがき苦しむ。

『……良いだろう。お前の誇りが守られるのなら、苦しまずに送ってやるのが友の勤め』

龍神は流れる動作で槍を構えると、悪鬼と化した友を一閃のもとに薙ぎ払う。
緒が切れた勾玉が龍神の足元に落ちた。

『……あぁ…すまない、友よ……』

死という形で邪気から開放された山神が小さく呟く。
倒れ行く山神を龍神は抱き止めた。

『今度は、共にある道を探そう』

龍神の言葉に、山神は意識が薄れながらも小さく微笑む。
そして、山神は静かに瞳を閉じた。
その瞬間、要の持つ槍が再び光始め絢香と要を包み込む。
紅葉に染まった景色から、再び隆起立つ村の景色へと意識が戻った。

「……これで、やっと未来が変わる条件が揃った」
「私も手伝うよ」

そう穏やかな表情を浮かべる要の額には、禰禰の時と同じように光り輝く金文体で天道と刻まれている。
絢香にも同じ天道の印が現れた。
要は槍を地面に下ろすと、方膝をつき顔を下げる。

「かけまくも畏れ多き、小転輪王に請願す」
「許す」

要の言葉に、今度は絢香のしっかりとした声で返事をする。

「蓮閃の伊勢崎の豊原に、みそぎ祓えたまえし時。在り座す王の覇道の諸々の禍事・罪・穢あらゆる厄災を祓いたまえ清めたまえ。ただ願わくば玉璽の印を賜ることを聞こしめせと、かしこみかしこみとを申す」
「天道の寿詞、しかと聞き届けた。西の守護、水天においてその名を縛る、伊勢崎 西水天 臣 要」

禰禰の時に客観的に聞いていた言葉を、絢香は思い出しながら要の諱を告げる。

「伊勢崎君、今度は助けてあげようね」

絢香は懐から翡翠の勾玉を取り出す。

「茉莉の穢れを祓うには、お前の力が必要だ。私と共に、戦ってはくれないか」
「うん。任せて」

絢香が頷くのを見た要は、槍を持って立ち上がり茉莉と対峙する。

「神子、魂の系譜を紡いでくれ」
「うん」

絢香と要は互いに向き直り、お互いが槍の柄を握る。
そして、絢香は眼を閉じて集中し、歌を奏で始めた。

「この身に宿りし龍神の神力よ、深淵より覚醒し我が身に加護を与えたまえ」

絢香が歌い始めたのと同時に要も眼を閉じて言霊を紡ぐ。
すると、要の頭からは龍の角が生え始め、先の尖った両耳は少し伸びた髪に隠れた。

「始めるぞ」

茉莉に向け、学ランにオーロラ色の羽衣を纏った要は槍を構える。
鬼と化した茉莉は、長く伸びた爪で要に襲い掛かった。
要は槍で茉莉の爪牙を受け止めると、素早く背後に回り槍の柄で押さえ込む。

「神子!!」
「うん!!」

要の声に頷くと、絢香は抵抗できないよう押さえ込まれた茉莉に翡翠の勾玉を押し当てた。
勾玉が触れた部分から全体に広がるように呪いが払われるが、茉莉は苦しそうに断末魔を上げる。

「こちらへ戻って来い、茉莉!」

苦しそうに暴れる茉莉を、要は歯を食いしばって押さえ込む。

「もう少しだから頑張って!」

絢香も必死に浄化の力を茉莉に注いだ。
茉莉は一際大きな悲鳴を上げると、力なく崩れ落ちる。
瞳を閉じた瞼の裏に、秋の山の情景を茉莉は見た。

「茉莉……しっかりしろ」

完全に鬼の姿から元に戻った茉莉を抱き起こすと、要は軽く頬を叩く。
茉莉はゆっくりと眼を開け、要を見た。

「夢を…見たんだ……」

茉莉は要に言う。

「夢?」
「うん……秋の山で、龍神と呼ばれていた君と鬼になった俺。ありがとう、約束守ってくれていたんだね」

茉莉は手の中にある勾玉を握り締める。

「馬鹿な、私はお前を騙していたんだぞ?周囲と共にお前を鬼と凶弾し、差別していたのだぞ?」
「しょうがないよ、それが君の役割だから。でも、俺を助けてくれたのはこれで2度目だね」

白い歯を見せて笑うと、茉莉はゆっくりと起き上がる。

「まだ、動くな」

要は起き上がるのをやめさせようとしたが、茉莉が首を振る。

「自分が何者なのか、今解かった。だから、今度は俺が役割を果たす番だ」

荒れ果てた大地に立つと、茉莉は天高く勾玉を掲げた。

「水配(みくまり)の国に住まう精霊たちよ、国之(くにの)水分神(みくまりのかみ)の名の下に命ずる。再びこの地に命の息吹と、恵みを与え給え」

放物線状に勾玉が光を放つと、荒れていた大地が元の静かな状態へと戻った。
結い紐に通した勾玉を首に提げると、茉莉は絢香の前に立つ。

「すまなかった」
「え?何が?」

急に茉莉に頭を下げられた絢香は、驚いて眼を見開く。

「今まで、この地に起こる不幸の原因はお前だと思ってずっと命を狙っていた」
「もしかして、前の運命の夜に襲ってきた鬼の面を被ってたのって……」
「あぁ。俺だ」
「ふーん。まぁ、何にせよ終わってよかったね」

絢香は視線を要に移すが、要は静かに首を振る。

「まだ私には、大仕事が残っている。これから村の人々に、茉莉の誤った認識を改めさせねばならない」

要は村人達が集まっている辰ノ淵へと歩き出す。

「ダメだ!ダメだ、伊勢崎君!今まで1人で戦ってきた君の努力が全て無駄になってしまう!俺、君が今の地位に居られるなら今までみたいに悪役でも良いから!!」

要の後を追って、茉莉が走り出す。
絢香も2人を追って駆け出した。

「神子は来るな!!」

要の鋭い声に、絢香は足を止める。

「ここから先は、私と茉莉の問題だ。神子は伊勢崎神社で待っていてくれ。お前の傷ついた仲間達も既に神社に運び込んだ」

全てを拒絶するような要の瞳に絢香はただ頷くしかなかった。



その夜、予定時間を少し遅れて祭りが始まる。
茉莉も村の人全員に受け入れられたのか、初めて心から楽しそうな顔をしていた。
しかし、要の姿が見えない事に気付いた絢香は村中を駆け回る。

「辰ノ淵かな……」

まだ、探していなかった辰ノ淵へと走った。
辰ノ淵に辿り着くと、月明かりに照らされた水面に要が立っている。
天を仰ぎ見る要をよく見ると、水面から少し足が浮いていた。

「祭には、参加しないの?」

絢香は静かに波紋を広げ、要の背中に向かって歩きながら問う。

「……あぁ」

翡翠の鱗に包まれた龍の尾を持った要が振り返った。
そして、2人は静かに星空を見上げる。

「私を連れて行け」

不意に、要が口を開く。

「ここへは、もう戻らないかもしれないよ?」
「案ずるな、ここでの私の役目は終わった。もう、私が居なくても問題はない」

要は、村人達との確執が無くなった茉莉を思う。

「本当にいいのね?」
「あぁ。伊勢崎家としての役目は終わった。今度は、お前の天道として役目を全うしよう」
「そう。明日は早めに出発するから」
「あい、わかった。私はもう行く、神子も早めに休め」

そう言うと、要は波紋を広げることなく水面の少し上を歩いて行った。