生贄






「…っん…」

頭の中にまで響く鈍い痛みに、要は眼を開ける。
まず視界に入ったのは、真っ暗な天井。
次に視線を横にずらすと、しっかりとした鉄で出来た牢であった。

「どうやら、手荒い歓迎を受けたようだ」

両腕を後ろで縛られた要は、やれやれと溜息を吐いた。
寝返りをうつように身体を横に向けると、上半身だけを起こす。
その際、懐に仕舞ってあった鏡の欠片が床に落ちた。

「神子に害が無ければいいが……」

要は鏡の欠片を見つめながら呟いた。




同刻、要を欠いた禰禰、迦楼羅、刹羅の3人は互いに背中合わせになって周囲に厳しい視線を向けていた。

「さっき、ここは聖域だからって俺達の武器取り上げて無かったっけ?」

弓を取られた迦楼羅が、刃物を持った村人達に警戒しながら口を開く。

「これだから、人間は信用ならないのだよ…」

同じく手首を飾っていた円月輪を取られ、目の前の長老らしき老人を睨み据えると、禰禰は握り拳をにぎる。

「この様子では、伊勢崎要も捕まっている可能性が高い」

状況は不利だとニュアンスを込め、自慢の2刀を失った刹羅が口を開いた。

「お前達の連れの女共は、こちらの監視下にある。抵抗など、考えるでないぞ」

禰禰の前に立っていた長老が、口を開く。
その言葉と同時に、禰禰達は両腕を後ろに縛り上げられた。

「生贄の儀式が済むまで、先ほどの男と同じ地下牢に入れておけ」
「誰を贄にするつもりだ」

連行されながら迦楼羅が問うが、長老は答えなかった。
村人達の不穏な動きを知らない絢香は、1人で水分(みくまり)神社の縁側に座っている。
手には、神社で出された白酒が入った盃を持っていた。

「こんな所に居たのね、探したわ」

急に声をかけられ、満月を眺めていた絢香は視線を変える。
お盆に乗せられた徳利を持った瑠璃が、絢香の隣に腰を下ろした。

「あ…ごめん」
「別に謝ることではないけれど、今夜の宴の主賓は貴女よ?」
「……うん」

ほんのりと甘い真っ白な白酒が入った盃を見つめ、絢香は言葉を濁す。
瑠璃の言うとおりに、今神社では、絢香を歓迎するささやかな宴が催されていた。

「何か、心配事でもあるの?」

絢香が濁した言葉に、瑠璃は徳利と傾け絢香に酌をした。

「ありがとう。心配事というか、嫌な予感がする……すごく、嫌な予感が」

宴会中、神社の巫女達や村の女性達から値踏みするような不自然な視線を思い出し、絢香は呟く。

「……そう。そんな、貴女に朗報です♪」

瑠璃が声を弾ませて言ったので、絢香は視線を盃から瑠璃に変える。

「朱璃さん、って言ったかしら。あの人、村の産婆さんに診せたら妊娠なさってたのよ」
「ふーん」
「ふーんって、驚かないの?」

想像していた返事と違い、瑠璃は驚きながら絢香の顔を覗き込む。

「何となく想像はしてた。昔、一度だけ、同じような人を見たことがあるから」
「そう…」

瑠璃の静かな声を最後に、沈黙が流れる。
二人の耳に聞こえるのは、風の音だけであった。

「ごめんなさい」
「何が?」

瑠璃の沈んだ声に、絢香は盃から顔を上げる。
瑠璃は周囲を気にしているのか、妙に落ち着きがなかった。

「早く、ここから逃げて」
「え?」

瑠璃の言葉を理解する前に、絢香は腕を掴まれ瑠璃と共に走り出した。

「逃げるってどういう事!?」

絢香は走りながら、自分の腕を掴んで走る瑠璃に声をかける。

「初めて貴女に会った時に言った妖怪が、貴女の霊力に眼を付けたの!オババ様は、貴女を生贄にするつもりよ!!」
「ま、待って!ちょっと、待って!!」

神社の階段を降り切った所で、絢香は瑠璃の手を振り払う。

「どうして!?」

急に立ち止まる絢香に、瑠璃は振返る。

「私1人逃げて、何になるの」
「後は私が、どうにかするから。恩のある貴女を、死なすわけにはいかないわ」
「だったら、私にも皆に恩がある。だから、私1人が行くわけにはいかない」

再び手を掴んだ瑠璃に、絢香は首を振った。

「良い心がけですね、旅人のお嬢さん」

落ち着き払った老婆の声に、絢香と瑠璃は振返る。
腰が曲がった老巫女の岩手を中心に、弓を構えた巫女達が絢香達を取り囲んでいた。

「いつの間に!?」

瑠璃は小さな懐刀を抜くと、絢香を背に庇う。

「妹に優しいお前の事、妹を助けたその娘を助けないわけがないでしょう」
「最初からバレてるみたい」

観念した声音で言うと、絢香は瑠璃の隣に移動する。

「生贄になら私が!彼女はこの村に関係ないわ!」

瑠璃は声を上げた。

「そうはいきません。水分(みくまり)様は、強く清浄な霊力を持つその娘を差し出せば、3年は生贄を必要としないと仰られました。村の為に、その娘には何としても生贄になって貰わなければなりません」
「違います!あの妖怪は、水分様ではありません!妖力を付けて、この地を乗っ取ろうとしてるんです!」

瞳に絶望を湛えた瑠璃が、声を張り上げた。

「水分巫女たるお前が、まだそんな戯言を言ってるからこの地に雨が降らないのです。仕方ありません。お前がその娘を差し出すのを拒むなら、長老の決めた通りに瑪瑙を生贄にする他ありません」
「そんな……瑪瑙を、生贄にだなんて……」

妹の名前を出され、瑠璃は耐えられず膝をついた。

「……解かった」

瑠璃の隣にいた絢香が、掠れた声を出す。
死が近づく恐怖から、手足は冷たくなり、震えているのが嫌なほど解かった。

「では、禊ぎの準備を」

岩手の言葉に、周囲の巫女は弓を下ろすと神社へ戻った。

「ただし、他の皆には手を出すな」
「しかと、心得ましょう」

絢香は岩手を睨み据えたが、岩手はまったく気にしていないようであった。

「いけないわ!ダメよ、絢香!」
「大丈夫だよ。何とかなる、なる」

顔を上げた瑠璃に、力なく笑うと、絢香は岩手に連れられて行った。




「ちょっと、何、この状況」

要が居る牢に入れられた迦楼羅が、呆れた声を上げる。

「見ての通りだ、全員捕まった」

要が淡々と答えた。

「そんなこと言ってるんじゃないんだけど」

要との会話が面倒になったのか、迦楼羅はそっぽを向く。

「その鏡の欠片、どこで手に入れた」

今まで黙っていた刹羅が、要の足元に転がっていた古い青銅物を見やる。

「山頂付近の湧き水があったと思われる所だ、今は枯れて荒地になっていた」

錆びて曇り、鏡の役割を果たせていない青銅物の欠片を見ながら要が答えた。

「(何故、海神鏡(ワダツミノカガミ)がここに……)」
「何か、気になることでもあるのかね?」

青銅の欠片から眼を離さない刹羅に、禰禰が口を開く。

「……いや」

一言で答えると、刹羅は視線を逸らした。

「誰か来るぞ」

忙しなく走ってくる音を聞き取った要が、牢の戸口を見た。




禊ぎを終えた絢香は、白装束を着せられ、目隠しに白い布で顔を覆われると村人達が担ぐ輿に乗せられていた。

「(まずいなぁ、隙を見て逃げ出そうかと思ったんだけど……)」

座りっぱなしで強張った筋肉を少し動かすと、両手足の枷を繋いだ鎖が音を鳴らした。
輿から降ろされると、目隠しを外される。
絢香は、暗く大きな口を開ける洞窟の前に立っていた。

「っ!?」

絢香を繋いでいた枷が外される。
屈強な村の男が二人、絢香が逃げ出さないよう両脇を捕まえ洞窟へ向かった。

「うっ!?クッサい…」

洞窟の入口から、高濃度の腐臭が鼻をつき、絢香は顔を背けた。
絢香は両脇を固める男達の隙を窺ったが、鼻から口全体を布で覆っていたため腕の力が緩められることはなかった。

「(1、2、3、4……)」

絢香は目が暗闇に慣れるまで、入口から歩いた歩数を頭の中で数え始めた。
歩数を50歩辺りを数えだした頃、大きな岩の台の前で男達が足を止める。

「(うぇ、マジで臭い…)」

白装束の袖で鼻と口を押さえている絢香を置き去りにし、二人は去っていった。
遠くなる足音が消えると、自分の鼓動と呼吸のみが辺りに響く。
手探りで岩の台に腰掛けると、何か硬い棒のような物に手が当った。
反射的に手に掴む。

「ここ、暗くてよく見えないな。明るい所、探さないと…」

手元も見えない絢香は、周囲を見回すと一ヶ所だけ月明かりで明るい空が見える場所を見つける。

「あった。明るい所」

真っ暗な闇の中に1人取り残された絢香は、その明かりに安心して、ほっと胸を下ろす。
しかし、まだ足元は暗いままなので、怪我をしないよう向かった。

「よっ」

一段高い岩場を乗り越え、唯一明るい所に出て、初めて自分が手にしている物を理解した。

「ひっ!?ほ、骨!?」

恐ろしさのあまり、持っていた人骨と思われる骨を落とす。
岩場に落ちた骨は、広い洞窟内に不気味に響いた。
それまで周囲を気にしなかった絢香は、高く聳える岩の壁を見る。

「………」

背中に冷や汗が止め処なく流れる。
絢香は、目に映る光景を理解するまで、呼吸を忘れ立ち尽くした。

「……い…いやだ…死にたくない……」

これまでに、生贄として死んでいった娘達の死を逃れようと抗う無数の引っかき傷。
長い時間が経ち、黒く変色した大量の液体の跡。
自分も生贄で、これから彼女達と同じ末路が待っていることを改めて思い知った。

「どうしよう……どうしよう……」

身体が恐怖で震え、奥歯をガチガチと合わせながら荒い呼吸を始める。

『ほんに、上質の霊力を持っておるのぉ。お前を喰らわば、疾(と)く力の有る妖怪へと昇華(しょうか)できようぞ』

壁の陰から、巨大な大蛇が顔を出す。
額に鋭い角を持った紫色の大蛇が、絢香を見て鋭い牙を見せた。
絢香は、脱兎の如く暗闇に紛れ、出口へと走り出す。

「1、2、3、4、5……」

最初に数えた出口までの歩数を数えながら、全力で走り出す。
床に散乱しているであろう人骨と、尖った石に足を傷つけても走り続けた。

「48、49っう!?」

49歩目を数えた瞬間、絢香は躓き転ぶ。

「痛ったい…足、捻っ……」

転んだ拍子に足首を捻挫して蹲る。
さらに追い討ちをかけるように、50歩近くを数えても出口の見えない暗闇が広がっていた。

「どうして!?何で、出口が見えて来ないのよ!!」

絶望感に苛まれ、泣きながら絢香が叫んだ。

『諦めよ、娘。この結界からは抜け出せん、誰も助けには来ぬぞ』

すぐ近くから声が聞こえ、耳を澄ますと、蛇の体を引きずり近づいて来る音が聞こえた。

「……パパ……」

諦めて、体を小さく丸めると硬く目を閉じる。
急に酷い耳鳴りに襲われ、瞼の裏に血まみれで倒れている女性の横を黒い物を白い物が食べている、そんな可笑しな情景が映った。

『ギシャアアアアア!!!』

耳鳴りと映像が急に消えると、耳をつんざく様な断末魔が聞こえた。