憂国の志






「連日、琉球付近の島が次々と賊に襲われているようです」

そう言って、禰禰は琉球一帯の地図を広げる。

「つい三日前にも、この島が襲われたばかりだ。琉球本土の国民も気が気ではないだろう」

禰禰の言葉に続き、要が琉球に比較的近い島を指す。

「目的は何?なんで、そんなに襲われるの?」
「さあ?金品目的じゃない?崑崙本国も、今は内戦中で政府が機能していないらしいし」

貿易をして諸外国との内情に詳しい迦楼羅が口を開く。

「ここの王様は何もしないの?」
「琉球王国は、我が藍閃帝国の属国になりまする故、帝より討伐の詔が琉球国王に発令されなければ出兵してはならないのです」
「え?今、帝は居ないんでしょ?そんな事をしてたら、死人が出てしまう……」

禰禰の説明に、絢香は戸惑う。

「……死の無い略奪はない、逆らった者は当然殺されただろう」

刹羅の声音が、綾香の耳に重く響いた。

「そんな……」

刹羅の言葉が胸を締め付け、絢香は一人考える。
学校の旧校舎で、幽霊に襲われた事を思い出し身震いした。

「どうすれば、賊船を追い払う事が出来るの?」

そして、何かしたいと感じた絢香は真剣な眼差しで禰禰を見た。

「なりません、我が君。我が君の慈愛に満ちたお心はお美しいと存じますが、下々の者のために大事な御身を危険に晒すわけには参りません」

禰禰は首を振った。

「神子は、戦う事を望むのか?」
「戦うと言うか、追い払いたい」

要の問いに、絢香はそう答える。

「正気か?あーゆー輩は、追い払ってもまた来るぞ」

迦楼羅が嫌そうに言った。

「何も、戦う必要はないよ。二度と、琉球を襲う気を無くせればそれで良いと思うの。何か、良い考えがあればいいんだけど……」

そう言うと、絢香は考え込んだ。






同刻、御嶽(うたき)城奥ノ院に身なりが整った小学生くらいの少年が訪れた。

「失礼する」

若くしっかりした少年の声と共に、襖が開かれた。

「我が国王。また、賊船の襲撃か?」

熊の様な髭を蓄えた顔で、獅子の与壱(よいち)が問う。

「……ああ。だが、朝廷からは、今上帝は不在で出兵の許可は出せぬの一点張り。なら、いつ出兵許可が出ると言うのだ!!」

若干7歳にして、琉球国王に即位した宗泰(そうたい)が拳を握りしめた。

「落ち着かれよ、我が国王。案ずるな、天意は我らに味方した」
「どういう事だ?我が守神よ」

自慢の髭を撫でつけながら答える与壱に、宗泰は怪訝な顔を向ける。

「先ほど朱璃から聞いたのだが、婿殿が本土の比売王(ひめおう)をこの地に連れて来たそうだ」
「っ!?なぜ、本土の比売(ひめ)を琉球へ入れたりするのだ!!朱璃姫も朱璃姫ぞ、いくら嫁ぎ先とは言え橘の好きにさせるとは嘆かわしい」

宗泰は唇を噛み締める。

「我が国王は、朱璃の里帰りを喜んでくれんのか?」
「そうではない。無論、姫の帰郷は喜ばしい。が、一国を預かる宗家当主として、私は長きに渡る本土からの非道な仕打ちを忘れてはならんのだ」
「もうしばしの辛抱ぞ、我が国王よ。朝廷が許可を出さぬのなら、比売王を利用すればよい」
「なんと!?気は確かか?戦場を知らぬ、たかが小娘に琉球の命運を託すなど。正気の沙汰ではない」
「なに、帝の血筋を使うだけの事よ。今夜、儂が直々に比売王の才能を見て来てやろう」
「明日には解ると?」
「左様。戦場を知らぬ小娘だが、玉座が選んだ娘。あの娘には、何かがあると儂は思うが……如何か?」
「……あい、解った。ただし、才能の無いただの小娘なら、私は朝廷の返答を待たずに出兵する」

宗泰は静かに口を開くと、与壱を見た。






禰禰の屋敷にある書庫に、絢香は一人で籠る。
一人で考えた末、絢香は戦略を独学で学ぼうと思い立ったのだ。

「うーん…。解ったような、解らないような……?」

埃っぽい書庫の中で手近な書物を読み漁るが、実際に理解したかと問われれば疑わしい。

「やっぱり、独学は難しいのかな?」

ドラマや小説で軍師と呼ばれる人の殆どは、誰か才能のある人物に師事を受けている。
それに比べ誰にも師事を受けていない素人の絢香は、一人で息詰まっていた。

「あー、ダメだ。全然解らない…」

手にしていた書物を放り出し、絢香は書庫を出た。

「あ、何か、もう夕方じゃん」

空を見上げた絢香の眼には、綺麗に染まった茜色の空が映る。
絢香は軽く伸びをし、強張っていた筋肉の凝りを解した。

「ん?」

ふと、風に乗って規則正しい鍛錬の掛け声が耳に聞こえてきた。
声が聞こえた方へ視線を向けると、奥まった所に生垣を見つける。
生垣の隙間から中を覗くと、日本刀を片膝が地面に着くほど低い姿勢で構えている人物が居た。

「あの耳……」

灰色の犬耳と尻尾を生やした人物に、絢香は小さく声を漏らす。

「そこに居るのは、誰ですか!!」

声を漏らした程度だったにも関わらず、その人物は絢香が居る所へ鋭い視線を向けた。

「す、すみません……」

警戒心を露にするその人物に、絢香は怖気付きながら生垣から顔を出す。

「うら若き女性に、刀を向けるのは忍びありません。嘘偽り無く、私の質問に答えて頂きたい」
「は、はい…」

刀の柄に手をかけた人物に、絢香は怯えながら頷く。
小柄で色白な、女性と思わせる綺麗な顔をしたその人物は、男らしく精悍な声がとても印象的な男性であった。

「まず、お名前を」
「い、和泉絢香……」
「ここへは、どのようなご用件で?」
「えっと…、禰禰、じゃなかった。橘中将の書庫を借りてたら、貴方の声が聞こえて。ただ、見てただけで邪魔をするつもりはなかったんです。ほんと」
「橘中将……貴女は、伯父上のお知り合いの方ですか?」

禰禰の甥に当るその男性は、刀から手を放し構えを解いた。

「えぇ、まぁ…」
「これは、大変失礼しました。伯父上のお客人とは知らず、どうかご容赦下さい。お詫びと言っては何ですが、お茶でも如何ですか」

男性は微笑むと、勝手口を開ける。

「あ。じゃあ、失礼します」

絢香はほっと胸を撫で下ろすと、勝手口から中へ入った。

「先程は、大変失礼しました。私は、戌(じゅつ)と申します。生まれは北方、育ちはここ琉球です」

戌と名乗った男性は、温かいお茶を差し出す。

「この家には、お1人で?」

縁側に座った絢香が、庵程の小さな家を見渡す。

「いえ、ここには母と二人で暮らしています」

そう言うと、戌は首を振る。
その途端、奥の部屋から誰かの咳き込む声が聞こえた。

「母上!?」

重い病なのか、戌は慌てて咳き込む声がした部屋へ向かう。
絢香もその様子が気になり、戌について行った。

「母上、お加減はいかかですか」

戌は部屋に入ると、真っ先に湾曲した背中を擦る。
部屋に居たのは、骨と皮になるまで痩せ細った老婆が居た。

「え?」

30代程度の外見である戌と比べ、母親は100歳近くである外見に絢香は驚いた。

「あぁ。驚かせたようで、すみません。私には山犬の血が半分入っていて若く見られますが、母はただの人間です」

絢香の驚いた顔を見た戌が、呼吸が荒い母親の背中を擦りながら答える。
また、戌の母親が苦しそうに咳き込み始めた。

「あ、大丈夫ですか?」

絢香も心配になり、背中を擦る。
その途端に、荒かった呼吸が落ち着き始めた。

「え?え?」
「呼吸が、落ち着いた…?」

戌は驚いて絢香を見やる。
絢香も何が起こったのか解らず、自分の手を見つめていた。

「貴女は、もしやユタなのでしょうか?」
「ユタ?」

戌の問いに、絢香は視線を戌に向ける。

「強い浄化の力を持った巫女の事を、琉球ではユタと呼ぶのです」
「いいえ?」

勿論、絢香はユタではないので首を振った。

「あぁ……お嬢さん、ありがとう……」

突然、か細い女性の声が聞こえ絢香は視線を落とす。
すると、弱々しくも微笑んでいる戌の母親と目が合った。

「いえ、お加減が良くなって良かったです」

生気が少し宿った目を見ながら、絢香は答えた。

「私からも礼を言わせて下さい。結核を患ってから、母の笑顔を見たことがありませんでした。本当に、ありがとう」
「い、いえ、特には何もしてないので……」

気恥ずかしくなった絢香は、視線を背ける。

「差支えなければで構いませんが、貴女は書庫で何を調べてらしたんですか?」
「戦術についてです。琉球が賊船に襲われてる話を聞いて、何か出来ないかなと思って」
「なんと!?貴女も同志でしたか!私も生まれは違えど、琉球の現状には憂いておりました。私の他にも、志を同じくする者達は沢山居ます。何より、宗泰国王自ら立ち上がられるとの噂も大きいでしょう!!」

絢香の話を聞いた戌が、熱弁を振るい始める。

「え。でも、ついさっき本を少し読んだだけだし……」
「出来る事がないかと思う志が大切なのです!これから、同志達と会合があります、お時間があるなら貴女もぜひ!!」
「……く、暗くなる前に戻れるなら……」

戌の熱意に押され、絢香は渋々頷く。
予定が決まった後の戌の行動は早く、早々に絢香を会合場所となる村の集会所へと連れて行った。

「同志の皆さん、お待たせてしまって申し訳ない」

戌はそう言いながら、中へと入る。

「何言ってるんだい、戌さんはお袋さんの看病があるんだから気にするなっていつも言ってるだろ」
「そうだよ、戌さん。お袋さんの病状が改善するのを、皆祈ってるんだからさ」
「あとで、野菜持って行ってやるからお袋さんに食わせてやんな」

中に居た村人達が次々と、戌に温かい声をかける。
戌と言う人物が、この場にいる老若男女から慕われている事が容易に分かった。

「それより戌さん、連れの子も同志なのかい?」

全員の視線が、戌に連れられて入った絢香に注がれる。

「はい。彼女は、絢香さん。我らと同じ憂国の同志です」
「ど、どうも」

戌から簡単に紹介され、絢香は会釈をする。
興味津々に見つめられながら、村人達から会釈を返された。