楽士



             

                            「お前にこれを渡しておく」

                            そう言うと刹羅は懐から小さい小袋を取り出し、絢香に渡す。

                            「あ、甘い香りがする。これ何?」
                            「俺のテリトリー内にあるイヌハッカの草2枚と少量のマタタビを、アケビの雌花の液で練って作った練香だ。
                              逸れた時のマーキング代わりだから無くすなよ」
                            「(GPSかよ……)いつも、お香を持ち歩いてるの?」
                            「教養程度に香は嗜む、蓮閃では常識だ」
                            「あー、そーですか。……こいつ、ウザイし……」

                            威圧的な物言いに、興味本位で聞いた事を後悔した。
                            とことん俺様性格の刹羅に、絢香は小声で毒づく。

                            「何か言ったか」
                            「何でもー」 

                            それ以後、二人は言葉を交わすことなく黙々と森を歩く。
                            暫くすると、崖に出た。
                            下には上流から下流へと、流れの速い川がある。

                            「行き止まり?」

                            絢香が刹羅に問う。

                            「いいや。夕暮れ時に、橋がかかる」
                            「橋?なにも無い所に?」
                            「ああ。木々に巻きつく蔓や蔦に擬態した紐状の妖怪が、夕日の光に誘われてあそこに集まる」

                            説明しながら刹羅が眼下の川幅が狭くなっている所を指した。

                            「今じゃダメなの?」

                            絢香が空を見上げると、日は傾き夕暮れ近くになっていた。

                            「さあな。好みなのか、本能なのか詳しい所は知らん」
                            「やっぱり、そうゆう事詳しい人とかって居るの?」
                            「学者がそうだ。基本、職業は蘭閃とあまり変わらない。家業をやっている者、やりたい事を職業にしている者。
                              蓮閃と蘭閃の違いは幕府と朝廷が権力争いをしている事ぐらいだ」
                            「ここ、幕府あるんだ?でも、こっちは幕府なんてもう無いし朝廷ももう無いと思う。天皇だって政治に関わらないし」
                            「蘭閃では、帝はお飾りなんだな」
                            「ここでは、将軍が政治してるの?」
                            「ここでは将軍とは言わない、公方(くぼう)と言う。将と言う字は公家や軍人、将校を指して使う。
                              帝を中心とした朝廷が治める西側と公方を中心とした幕府が治める東側で対立している。
                              北は共和国を掲げ、中立を保った状態だ」
                            「うーん。何か、江戸時代と明治時代が合わさった感じ?」
                            「江戸時代は蘭閃の幕府の時代だな、明治時代は新文化を取り入れた時代。
                              そう考えた方が解り易いなら、そう考えても問題ないだろう」
                            「博識ねー♪」
                            「茶々を入れるな、常識だ。言っておくが蓮閃は異世界じゃない、蘭閃との交流が途絶えた訳でもない。門は閉じられたが、
                              霊道と呼ばれる抜け道が数多くある。人に害する怪現象は、ここから抜け出した悪しき妖怪の仕業だ」
                            「ねぇ、さっきの件に張り付いていたあの根は何?」
                            「あの根は、先の帝が崩御してから急に広まり始めた。俺は新種の穢れだと思っているんだが、学者の間でも詳しい事はまだ
                              何も解っていない。人間は死ぬと土に還るが、妖怪は死ぬと天に還る。だが、あの根に憑かれた妖怪は天には還れず、地下
                              深く幽閉され永劫に安らぎを得られないのだそうだ」
                            「じゃあ…あの件も……」

                            根に憑かれた件の最期を思い出して、絢香が俯く。

                            「いいや、あの件は今まで俺が屠って来た他の妖怪の末路とは違い、綺麗に消えた。今までの妖怪は、死んだ体が腐敗して
                              ドロドロの状態になってから大地へ沈み込んでいた。お前の歌が、根の穢れを祓ったのだろう」
                            「…………」

                            急に褒められて、今度は恥ずかしそうに俯く。

                            「時間だ」

                            刹羅の声に、絢香は顔を上げる。
                            背後の森と対岸の森から無数の蔓や蔦が、夕日を浴びて朱色に輝く川に橋を組み始めた。

                            「蔦の橋だ……」

                            あっという間に出来上がった朱色のしっかりとしている蔦の橋を見て、絢香が驚く。

                            「夕日が沈めば、橋は消える。時間が無い、早く渡れ」

                            刹羅はそう言うと、絢香を先に渡らせる。
                            絢香が渡り始めるのを見届けると、刹羅は背後を警戒しながら殿(しんがり)を務めた。
                            しかし、絢香が中間に差し掛かると強い突風が吹き付ける。

                            「きゃああ!?」

                            足元に一本のロープ状の蔦が通っている他、足場がないつり橋は突風で大きく揺れる。

                            「支えにしっかり掴まれ!」

                            刹羅の声が聞こえ、絢香は等間隔で両脇からつり橋を支えているロープ状の蔦を握る。
                            しかし、何かに手を弾かれた感覚が襲い、絢香は足を滑らせてしまった。

                            「この、バカ!」

                            刹羅が絢香に手を伸ばす。
                            絢香も刹羅に手を伸ばしたが、届かず絢香は下へ落ちて行った。





                            「うっ……」

                            体中に鈍い痛みを感じ、絢香は眼を覚ます。
                            少しずつ意識が回復してくると、自分が川原に倒れていることが解った。
                            川原の石で痛む体を起こしてみると、上流へ落ちた筈なのに不思議と体は濡れては居なかった。

                            「今、何時だ!?」

                            どれ位気を失っていたか心配になり、絢香は空を見る。
                            鮮やかな夕焼けがまだ残っていた。

                            「よかった、まだそれ程時間が経っていないみたい」

                            絢香はホッと胸を撫で下ろす。

                            「動くな……」

                            不意に、背後から鋭い殺気と無機質で静かな歳若い声が聞こえた。

                            「だ、誰?」
                            「喋るな。そのまま、ゆっくりこちらを向け」

                            緊張と殺気に包まれる中、絢香は言われた通りに振り返る。
                            そこには、二丁の長銃を構えた黒い長髪の青年が立っていた。

                            「僕の問いに、偽り無く答えろ……」

                            人形のように無表情な顔から、囁くような声が紡がれる。
                            きっちり着こなした髪と同色の黒い軍服が、華奢な体格をより一層引き立たせていた。

                            「…………」

                            絢香は、殺気を含んだギラつく眼差しに見下ろされながらただ頷く他無かった。

                            「お前からは巨大な力を感じる、お前は何者だ……この蓮閃を壊す者か」

                            そう言うと青年は、銃口を近づける。

                            「私は蘭華と言われる人種みたいで、楽士になったただの新人高校生です」

                            露骨に殺気を出して睨む相手に、絢香は仕返しとばかりに身分を簡潔に、かつ早口で捲くし立てる。
                            ふと、心の隅で銃口を前にして冷静で居られる自分に驚いていた。

                            「フリーの楽士……調度良い……楽士は保護するよう、命令がでている。僕と一緒に来い……」
                            「嫌」
                            「抵抗するな、抵抗すれば撃つ……」
                            「私、名前も素性も解らない男について行くようなバカな女じゃないから。それにフリーじゃないし」

                            青年が睨みつけると、絢香も負けじと食って掛かる。

                            「契約した闘士の姿が見えない、今フリーならそれで、構わない……」
                            「いやいや、構うから。それより、早く名乗ってよ」 
                            「お前が僕の名を知る必要はない……来い……」
                            「嫌って言ってるでしょ!銃で脅せば言うこと聞くと思ったら大間違いよ!!」
                            「……それがお前の答え。ならば、仕方が無い……」

                            静かに青年が言うと一発の銃声が響く。

                            「………」

                            右頬に赤い線を作り、そこから血を流した絢香が驚きと恐怖で棒立ちになった。

                            「もう一度だけ言う……僕と一緒に来い。拒めば、次は頭を撃ち抜く……」

                            はっきりとしたその声に、躊躇いがないと感じた絢香は一歩足を前に出す。

                            「……邪魔が入った」

                            表情は変わらないが、声色で不快感を露にした青年は二丁の長銃を絢香から離す。
                            絢香の眼の前を、黒い影が横切った。
                            そして、二丁の長銃と二本の長剣が打ち合う甲高い金属音が辺りに響く。

                            「俺の楽士から離れろ」

                            薄茶色の毛を逆立てながら、刹羅が唸る。

                            「刹羅……」

                            自分を背にして戦う刹羅の姿に、絢香の恐怖心が薄れて行く。

                            「お前が、この楽士と契約した闘士か……」
                            「そうだ」
                            「(あれ…?)」

                            二人の男は、間合いを開けると互いの武器を構える。
                            しかし、そんな中で絢香は何か心に引っかかりを覚えた。

                            「……楽士は保護せよとの命令が出ている、その女を渡せ」
                            「幕府の命令だろうが、俺には関係ない。俺の楽士に手を出すな」
                            「(何だろう?この感じ……)」

                            周囲が二人の殺気に包まれる中、絢香は何か奇妙な感覚に陥っていた。

                            「引き金がないその長銃……そうか、お前が呪われたツクヨミの力を持つ化け物か」
                            「ツクヨミの力?」

                            刹羅の言葉に、絢香は視線を刹羅に向ける。 

                            「少々厄介な相手だ、歌えるか?」

                            絢香の横に立った刹羅は、視線は相手を警戒しながら問う。

                            「で、でも…」

                            さっき感じた奇妙な感覚が気になった絢香は戸惑う。

                            「迷うな!相手は心を持たない化け物だ、手加減して勝てる相手ではない。行くぞ」
                            「う、うん…」

                            刹羅が剣を構え、絢香は心に引っかかりを持ちつつも両手の指を胸の前で重ねた。
                            絢香の足元から光が現れて、絢香を包み込む。

                            「刹羅!」

                            泉の水が湧き出る様に溢れる力を感じた絢香は、刹羅に手を伸ばす。

                            「ああ」

                            刹羅が、絢香の手に自分の手を重ね合わせる。
                            躯体を震わせ、魂の奥底に眠る闘志を呼び起こす。

                            「僕の邪魔を、するな……」

                            連続して銃声が鳴る。
                            引き金が無い銃は、実弾の代わりに透明度の高い気の塊を吐き出していた。

                            「こいつに眼をつけた事は褒めてやる、だがこいつはその辺りに居る楽士とは違う。手放す気はない」

                            剣が煌き、刹羅が地を飛躍し疾駆する。
                            再び剣と銃が交わり、金属音が響いた。
                            両者は互いに後ろへ、飛ぶと間合いを開ける。

                            「……何故。この歌は……」

                            銃が剣に触れた一瞬のうちに、絢香の歌が聞こえたのか、今まで無表情だった青年の顔に驚きの色が見えた。

                            「私の歌を知っているの?」

                            何かを知っている素振りを見せた、青年に絢香が驚きつつも問う。

                            「止めろ、こんな奴の声を聞くな」

                            絢香を背に庇うように立っている刹羅が、不快を含んだ声で戒める。

                            「待って、刹羅。お願い、少し話をさせて」
                            「ちっ」

                            絢香の頼みに、刹羅は舌打ちすると警戒しつつ待機する。

                            「お前は誰だ……。何故、お前が僕の吾妹御子の歌を……歌う……?」

                            青年はそう言うと、今まで殺気立っていた瞳に哀しみや怨みを込めて絢香を見る。

                            「わ、ワギモノミコ……?」

                            聞きなれない言葉に、絢香は眉根を寄せる。

                            「お前は誰だ……。お前が、僕の御子……なのか……」
                            「ん〜、よく解らないけど。私の名前は絢香、和泉絢香だよ」
                            「イズミアヤカ…御子と同じ名……御子の顔、思い出せない……忘却して、しまった……」

                            悲しそうな声でそう呟くと、青年は銃を納める。
                            そして、背を向けると歩き出した。

                            「ねぇ、貴方の名前を教えて?」

                            絢香が問うと、青年は足を止めた。

                            「……ヒツキ……」

                            ヒツキと名乗った青年は、振り向かずに答える。

                            「どんな字を書くの?」
                            「……解らない……名の字を、奪われてしまった……」

                            そう静かに言うと、ヒツキは静かに消え去った。