よろず屋 氷鴈



             

                            「ヒツキ……」

                            ヒツキの姿が消えると、絢香の心に蟠りが残る。
                            何か忘れてはいけない事を忘れてしまっている焦燥感に駆られた。

                            「おい。あまり時間もない、この近くに都に出る霊道がある。そこを通るぞ」

                            刹羅はそれだけ言うとさっさと歩き出す。

                            「え!?ちょっと、待って!」

                            逸れたら堪らないと思った絢香は、急いで刹羅の後を追う。


                            少し歩いた所に赤い鳥居が見えた。

                            「鳥居を潜ったら、何があっても振り返るなよ。永久に霊道を彷徨ことになるからな」
                            「うん…わかった…」

                            刹羅の真剣な声に、絢香は注意事項をしっかりと頭に叩き込む。
                            意を決して鳥居を潜った。

                            「うっ……」

                            鳥居を潜ると風景が一瞬にして変わり、薄暗く重たい空気に絢香は息を詰まらせた。

                            「前だけを見て歩け」

                            後から潜って来た刹羅が、絢香の後ろから声を掛ける。
                            平安時代を思わせるような高い壁に区切られた土の道を歩いていった。

                            「ちょいと、そこのお嬢さん。店で一服して行かないかい?」

                            ふいに声をかけられ視線を横にずらすと、一軒のお茶屋があった。
                            看板には峠の茶屋と書かれている。

                            「おー、よく時代劇に出て来るお茶屋さんだ」

                            江戸時代の茶店を思わせる店の佇まいや、店員の格好に絢香は興味を引かれた。

                            「ねぇ、ねぇ、刹羅」
                            「ダメだ」
                            「……まだ、何も言ってない」

                            店に入りたがる絢香を刹羅が一蹴すると、絢香は不貞腐れる。

                            「道草を食っている暇などない」

                            呆れた刹羅は溜息交じりに言う。

                            「ちょっとだけ、ちょっとだけ」

                            そう言うと、刹羅の制止も聞かず中へと入って行った。
                            店の中は食堂になっていて、多種多様な妖怪達がここで雑談をしつつ食事を取っている。
                            絢香が少し店内を見回していると、赤い敷物を敷いた長椅子に氷で作ってあるのか、
                            透明度の高い綺麗な煙管を吸っている男が1人居た。
                            薄水色の前髪から覗く切れ長の眼が、熱心に手元へ注がれる。
                            何を熱心に見ているのか、興味がそそられた絢香はその男に近づいてみる事にした。

                            「うわっ……」

                            男の手元にあったのが成人向け雑誌だと解ると、絢香は軽蔑の眼差しで男を見つつ一歩退く。

                            「おっとー、レディが居たとは気付かなかった。失敬、失敬」

                            絢香の声に気付いたのか、男は顔を上げると読んでいた雑誌を懐に仕舞う。

                            「いや…別に…」

                            絢香はその場を逃げるように退散しようとするが、男に突然腕を掴まれた。

                            「冷たい!?」

                            氷に触っているのかと思うぐらいに冷たい男の手に、絢香は驚いて身を竦ませた。

                            「ちょい待ち。実は俺、ここで君が来るのを待っていたんですねーコレが」

                            そう男が言うと、絢香からゆっくり手を離す。

                            「待っていた……?」

                            冷えた腕を摩りながら絢香が問う。

                            「俺の名は氷鴈(ひかり)、都でよろず屋をやっていましてね。さる高貴な方から、高額な前金を頂きまして。
                              聞けば、仕事は1人のレディを都まで案内すること……たったこれだけ。割の良い話なので、即答でお引き受けしましたが」
                            「あの…それと、私の何の関係が?」
                            「まぁまぁ、そう思うのも解りますが聞いてやって下さいよ。初めは俺も不安はありましたよ、名前も顔も素性も解らない
                              1人のレディをどうやって探せとね。依頼人に聞きましたとも、何か目印になるようなものは無いかと。
                              返って来た返事は『見れば解る』たったそれだけと来たもんだ」
                            「は、はぁ…?」

                            行き成り捲くし立てる氷鴈に、絢香はたじろぎながら生返事をした。

                            「けど、本当に見たら解ったよ。仕事柄、こんなことは聞かないんだけど。君は一体何者なんだい?君は他とは違う気がする」
                            「さ、さぁ?」

                            急に真面目になる氷鴈に驚くも、絢香は首を傾げる。

                            「まぁ、良いさ。君と居ると何だか退屈しなくてすみそうだ、お前もそうなんだろ?刹羅サン♪」

                            氷鴈が視線を絢香の後ろに変えると、絢香もつられて振り返る。
                            そこには、木の柱に腕を組んで寄りかかっていた刹羅が居た。

                            「ふん、こいつは俺が見つけた楽士だ。それ以上でも、それ以下でもない」

                            刹羅はさっぱりと言い放つと、店の外へと出て行ってしまった。

                            「さてと。金を貰っている以上、仕事しないとね。お嬢さん、刹羅が短気を起こさない内に行こうか」

                            白地に青い糸で雪の結晶を散りばめた着流しを揺らしながら、氷鴈は歩き出す。
                            絢香も後に付いて店を出た。


                            出口である白い鳥居を通ると、鳥居の中は時間が止まっているのか外は夕焼けままであった。

                            「ここが都?」

                            絢香は驚きながら周囲を見渡す。
                            周りは大正時代のように、赤レンガ造りの建物が立ち並び、道路もレンガで舗装されていた。

                            「まぁね、すごい所でしょー?普通の人間や妖怪が入り混じる蓮閃一の巨大都市さ」

                            氷鴈が自慢気に胸を張る。

                            「えーと。氷鴈さん、何で貴方が自慢してるんですか?」
                            「お嬢さん、さん付けや敬語は要らないよ。そうした方が、仲良くなれる気がするからね」
                            「じゃあ、氷鴈。やっぱり、自分が住んでいる所って誇りに思えたりするの?」
                            「そりゃあね。お嬢さんは違うのかね?」
                            「さあ、解らないよ?好きでもないし、嫌いでもないから」
                            「寂しい答えだね、一番寂しい答えだ。好きも嫌いも選べない、どちらでもないって言うのは無いのと同じ。居ないと同じさ」

                            含み笑いをする氷鴈が、氷の煙管を絢香に向ける。

                            「意味が解らないよ?」

                            言っている意味を理解しようと考えていた絢香は眉間に小さく皺を寄せる。

                            「ダメダメ、意味なんて理解しても無意味だよ。それより、もう外も暗くなり始めている。家に来ると良い、
                              うちの凪も女の子と話せて嬉しいだろうし」
                            「良いの?」
                            「お嬢さんなら、大歓迎さ」
                            「ありがとう!」
                            「さて、お嬢さんは家に来るから良いとして……」

                            氷鴈は、今まで黙っている刹羅に眼を向ける。

                            「安心しろ、死んでも貴様のやっかいにはならん」

                            刹羅は鼻で笑いながら答えた。

                            「やや。そう、釣れないこと言わずに♪」

                            氷鴈は刹羅の肩を組むと、イソイソと絢香から少し離す。

                            「何だ」

                            威嚇が混じった低い声で刹羅が唸る。

                            「や。そう威嚇せず、我が家に泊まって行ってくださいな♪」 
                            「何が目的だ?」
                            「知りたいんだよ。彼女の事が。それに、君が彼女を楽士として捕まえた経緯も知りたいしね」
                            「ふん、ただの気まぐれだ」
                            「また、またぁ〜。戦局を左右する楽士を、気まぐれで選んだりしないでしょ。どうやら、お互いに伏せたカードがあるね、
                              情報開示といこうじゃないか♪」

                            氷鴈は、刹羅から離れると歩き出す。
                            どうすれば良いか解らずに居る絢香に、刹羅は「付いて行け」とばかりに顎で氷鴈を指した。

                            氷鴈に付いて行き、赤いレンガ街を通っていく。
                            二階建ての建物へ入って行った。

                            「まぁ、狭いけど寛いで行ってね」

                            一階の事務所を通り、木造の階段を上がる。

                            「凪ちゃーん、お客さん来たからお茶入れてねー」
                            「あーい」

                            氷鴈がドアを開けつつ言うと、中から少女の声が返って来た。

                            「あら?」

                            中から聞こえた少女の声が、下宿先の従兄妹の家で聞いた声によく似ている事に絢香は気付いた。

                            「ちょっと散らかってるけど…まぁ、気にしないでね」

                            氷鴈が、仕事の書類やファイルが散乱している部屋の中で手招く。
                            絢香はそれらを踏まないよう、注意しながら入った。

                            「どーぞー」

                            絢香の前にお茶が置かれたが、絢香の眼はお茶を運んできた少女に釘付けであった。

                            「何で、ここに凛が居るの?」
                            「凛?違うよ、凪は凪だよ?」

                            巫女装束の少女、凪はフルフルと首を振りつつ答える。

                            「言われてみれば、少し違うかも」

                            黒髪だった凛を思い出しながら、絢香は茶髪の凪を見た。

                            「氷鴈、さっき氷鴈が留守だった時にね。依頼人が伝言置いて行ったのー」 

                            凪が一枚のメモを氷鴈に渡す。
                            一瞬、メモの文面が見えた絢香は驚きのあまり口に含んだ紅茶を誤って気管に流し込んでしまった。

                            「お嬢さん?」
                            「だ、大丈夫……(ギャ、ギャル文字が見えた……)」

                            噎せ返る絢香に氷鴈が声を掛ける。
                            絢香の脳内は、絵文字や顔文字でデコレーションされた文面がチラついていた。

                            「さて、お嬢さん。これからの事なんだけどね」

                            椅子の上に2〜3冊積み重ねられた分厚いファイルを下に落とし、氷鴈が座る。
                            氷の煙管を深くゆっくりと吸い、肺の奥に溜めた煙を静かに吐き出した。
                            しかし、不思議と鼻につく煙の不快な臭いはしなかった。

                            「暫くここに泊まると良い、周辺を散策するにも拠点が無いと何かと不便だろうし」

                            凪から渡されたメモを見ながら氷鴈が言う。

                            「良いの?」
                            「良いも悪いも、近くに居てくれた方がこっちは助かるし。遠慮せずに寛いでね〜♪」
                            「ありがとう」

                            絢香は氷鴈に会釈すると、凪に案内されて部屋へ向かう。
                            外はもうすっかり日が落ち、窓からは綺麗な月が見えていた。

                            「まぁまぁ、そう毛を逆立てずに。夜はこれから、ゆっくりお話しましょうや」

                            絢香と凪が去った部屋で、二人っきりになった氷鴈が立ち上がり窓際に置いてある机に向かう。

                            「ここに留まらせたのは、依頼人とやらの命令か?」
                            「はい、正解。ちょっと逆らえない所からの圧力でね」

                            机の上に散乱した資料を漁りながら氷鴈が答える。

                            「刹羅サンは、帝室から臣下の家に臣籍降嫁した日向諭美比売命(ヒムカユミノヒメミコ)を知っているかい?」
                            「確か、何十年か前に左大臣家の鳳に嫁いだ比売宮(ヒメミヤ)だ……まさか」

                            刹羅の視線が氷鴈に注がれる。
                            二人の間は沈黙に包まれた。

                            「実際にこの眼に見たわけじゃあないんですが、凪が二階の窓から見たらしいんです。馬車に刻印された、双頭の鳳凰を」
                            「双頭の…鳳凰……鳳(おおとり)家の家紋じゃないか」
                            「鳳の若様も今年で元服も終わって、嫁探しって話も無くは無いと思うけど。素性の知れない蘭華を、わざわざ大金出して
                              探す訳がない……あのお嬢さん、本当に何者なんだろうね?」

                            氷鴈の含み笑いが、闇に消えた。