鳳 迦楼羅
朝日が昇り、日の光で絢香は眼を覚ます。
蓮閃での新しい一日が始まった。
「ねぇ、刹羅は?」
絢香は、昨夜通された広間に行き氷鴈に話しかける。
「あー、あの人なら朝早く出かけたよ」
また何かを探しているのか、氷鴈は辺りを引っ掻き回しながら答えた。
「……何、探してるの?」
「地図ぅ〜。凪ちゃーん、早く見つけてよ〜」
「氷鴈がだらしないのが悪いンでしょ!!」
氷鴈の言葉に、離れた所で探していた凪の鋭い声が返ってきた。
「少し片付けた方が良いんじゃないの〜?」
絢香がソファーに座った途端、何かを踏んだ感じがして眼を向ける。
「あら?地図ってコレ?」
絢香が、座った下に敷かれていた紙を引っ張り出すと氷鴈に見せた。
「そうそう、それそれ♪」
「でもこれ、何も書いてないただの紙じゃん」
氷鴈の手が伸びて来たので、何も描いていない白紙の紙を差し出した。
「これ、実はあぶり出し地図なのよ〜♪」
氷鴈は楽しそうに笑うと、白紙の紙に妖力を注ぎ込む。
すると、少しずつ地図が浮かび上がった。
「すごーい!この世界の地図って全部こうなの?」
絢香は、好奇心に眼を輝かせて問うた。
「いいや、単に俺の趣味」
しかし、氷鴈から即答で返ってきた答えは夢の無い回答であった。
「夢がないなぁ。で、その地図どうするの?」
「散策しに行くお嬢さんに♪散歩、行くでしょ?」
「え。あー、うん、ありがとう」
氷鴈から地図を受け取ると、絢香は外へ出て行った。
外は部屋の窓から見た景色同様、大正時代のレトロな雰囲気が漂っていた。
「さて、どこへ行こうかな」
絢香が地図を広げると、面白い事に図面が動いていた。
「わー、これ面白い!」
現在地を示しているのか、自分の名前を中心に行き交う妖怪達の名前が移動していた。
「あ、路面電車だ」
地図の下の方から“路面電車”の文字が北上してくる、次第に鐘の音が近づく。
絢香は怪我がないように、線路から少し離れた。
通り過ぎる路面電車も、大正時代から抜け出したようにレトロな外装であった。
「今、大正時代なのか?」
歩き始めた絢香は、行き交う妖怪達の服装や建物を見回しながら時代背景を考える。
しかし、平安時代の通り道や都・幕府と言ったバラバラな文化が入り乱れるのも面白いと感じていた。
暫く歩いていると、一本の梅の枝に止まっていた鶯の鳴き声が聞こえた。
地図から顔を上げると、いつの間にか平安時代の通りを歩いている。
「あら、いつの間に……もー、何が何だか……」
立ち止まり、地図を見ると案の定図面も変わり平安時代特有の盤上に区画された図面になっていた。
「何か、京都観光しているみたいだ」
絢香が歩き出そうとすると、梅の枝から肩に一羽の鶯が移動した。
「わっ。珍しく懐っこい鶯だね、お前も来るかい?」
絢香の言葉に肯定を示したのか、鶯が短く鳴いた。
周囲を見渡しながら歩いていると、遠くから何か重たい物を打ち付ける音が微かに聞こえた。
「何の音……?」
立ち止まり、周囲を見渡してもそれらしい原因はない。
いつの間にか辺りには誰一人居なくなっていた。
少しずつ大きくなる音に比例し、地面からの振動も大きくなる。
「じ、地震!?」
転ばないように両足に力を入れ、揺れに耐える。
上下の揺れが大きくなり、絢香の足は地面から着いたり離れたりを繰り返し始めた。
「ち、近づいてきてる!?」
得体の知れない恐怖に、絢香は昨日遭遇した件(くだん)を思い浮かべた。
「また、あんなのが出たらどうしよう〜。ムリムリ、絶対戦えないって!」
突き当たりの曲がり角から、嫌な感じがし始める。
この場から逃げようにも、地震が酷く動けない状態であった。
「きゃああ!?」
大きな轟音と共に、空から大岩程の何かが降ってきた。
「な……何これ……ど、どっかで見たことあるぞ……?」
絢香の眼の前には、黒く長い毛である棘髪(おどろがみ)を振り乱した大きな顔があった。
「ちょっと待って、ちょっと待って。妖怪物の本によく出て来る奴だ、名前何だっけ?」
絢香が、目の前に現れた大きな顔の正体を必死で思い出そうとしている隣で、鶯が叫ぶようにして鳴く。
毛の間から見え隠れする大きな血走った眼が、絢香と鶯を捕らえた。
「え〜……」
何かの冗談であって欲しいと、絢香は後ずさりしながら眼を逸らす。
そんな絢香の願いも空しく、あの大岩程の巨大な顔が空高く浮いた。
「いやいやいやいや。ホントに!!?」
絢香はパニック状態になりながら、棘髪を振り乱しながら落ちてくる巨大な顔を必死で避けて走り出した。
「行き止まり!!?」
突き当たりの角を曲がると行き止まりに出てしまい、絢香は急いで引き返そうとしたが間に合わなかった。
太陽の光を隠し、逆光を浴びたあの顔が影を広げつつ落ちてくる。
「嘘っ……!?誰かっ……!!」
鶯を守るように抱くと、絢香は硬く眼を閉じた。
「他人のテリトリー内で、何、騒いでいるの?」
「……え?」
この非常事態に相応しくない台詞に、絢香は戸惑いつつ眼を開ける。
絢香の眼の前には、大きな鳥の翼を持った青年の背中が見えた。
その青年は、綺麗な細工が施された日本弓をしならせると矢を目標に放ち、落ちてくる物体の軌道を逸らす。
どうやら、先程の台詞は絢香に向けられたのではなく、空から落ちてくるあの巨大な顔に向けられたものであった。
『……タマシイ……ヨコセ』
上からおどろおどろしい声と共に、大量の砂埃を巻き上げながら巨大な顔が曲がり角の出入り口を塞ぐように落ちる。
その顔は、最初に見た顔とは違い、目・鼻・口・耳のあらゆる部分からあの紫色の太い根が蠢いていた。
「そ、そんな……」
件と同様、あの紫色の根に蝕まれる酷い姿を見た絢香は悲しい気持ちになった。
「おとろし、そんな哀れな姿になっても生きたいという執念。俺には、理解できないね……」
太陽の光を浴び、眩しい程に光り輝く短い金髪を風に靡かせながら小さく肩をすくませる。
『タマシイ……タマシイ……ソノムスメノタマシイ、ヨコセー!!!』
根が蠢く大きな口を開けると、おとろしは絢香と弓を構える有翼人の青年に襲い掛かった。
「絢香、下がってなよ」
「え?」
急に名前を呼ばれ、驚く絢香をよそにその人は両翼を大きく広げる。
その翼は、羽の根本から半分は純白で、半分から羽先は真紅をした綺麗な翼であった。
「天地加護弓(あめつちのかごゆみ)よ、風来たりて、嵐風と成せ」
金色に弓矢が光だすと、甲高く空に響かせるように共鳴し始める。
絢香には、その弓矢が金色に輝く尾長鳥に見えた。
「中天を護りし、聖獣鳳凰よ。我が声に応え、舞い降りよ」
祝詞を唱え、弓をしならせる。
大口を開けたおとろし目掛け、金色の尾長鳥、鳳凰の形に輝く矢が放たれた。
その瞬間、辺りは閃光に包まれる。
「んっ……」
閃光の眩しさに、絢香は反射的に顔を背けた。
「終わったよ、いつまでそうしてるの?」
大人っぽい落ち着いた声に絢香が眼を開けると、綺麗な翡翠色の瞳と眼が合った。
「あ、あの。助けてくれて有難う……」
金髪碧眼の美人系を前に、絢香は少し緊張気味であった。
「別に当たり前の事でしょ、君とはそうゆう約束だからね」
「約束?」
青年の言葉に疑問を感じた絢香は首を傾げる。
しかし、青年は一瞬驚いたように眼を見開いたが、少し寂しそうに眼を逸らした。
「あの事が本当なら、覚えているわけないか……」
「あの事って、何?」
「自分で知って、他人が言っていい事じゃないから。どうせ、俺の名前も忘れてるようだから教えてあげる。
俺は、鳳 迦楼羅(おおとり かるら)。面倒だから、もう忘れないでくれ」
迦楼羅と名乗った青年は、本当に面倒なのか、溜息を吐きつつ瞳と同色の翡翠の衣を翻した。
彼が歩き出すのと同時に、絢香の手の中に居た鶯が飛び立ち迦楼羅の肩にとまると、嬉しそうに鶯色の小さな頭を摺り寄せた。
「この子の事、守ってくれたらしいね。礼ぐらいは言っておくよ」
迦楼羅が不意に、絢香に振り向いた。
「私、別に何もしてないよ。逃げていただけ」
「それも大事な事さ、君は死んではいけない身だからね。それよりさ、まだ散策続けるの?」
翡翠の瞳を細めると、迦楼羅は面倒そうに言う。
「え?この辺り入ったらいけない所なの?」
周囲の静けさといい、迦楼羅の言葉に絢香は不安になった。
「入れない場所なんてここにはないよ、ここはまだ都の五条南だからね。帝の居城、黄禁城がある一条中央には流石に入れない所はあるけど」
「……五条南って、五条の南ってこと?」
日本の京都とは違う言い方に、絢香は戸惑い始めた。
「そう。都は黄禁城がある一条の中央、即ち一条中央を中心に正方形型に囲んで、さらに四方の方角を呼び名にしてる面倒な都市って事」
言い終わるとすぐ、迦楼羅は踵を返した。
「どこ行くの?」
「朝廷に戻るんだよ、仕事ほったらかして来たから」
迦楼羅は嫌々ながらに答えた。
「仕事してるの!?」
自分と変わらない年齢の社会人を前に、絢香は驚きを隠せないで居た。
「俺、これでも太政官中納言」
「ちゅっ……チュウナゴン……?って、偉いの……?」
「自分で調べて」
頭に疑問符を浮かべる絢香に、迦楼羅は説明するのが嫌になったのか即答で答えた。
「ねぇ、朝廷に私も連れて行って」
「面倒だからヤダ」
「えー!!」
朝廷に興味が出てきた絢香に、迦楼羅はあからさまに嫌そうな顔をした。
「行きたきゃ勝手に行けよ、俺は知らない」
そう言うと迦楼羅は歩き出す。
「あ、ちょっと待って!」
迦楼羅を見失わないように、絢香は後ろを追って走り出した。