大内裏


一条中央 大内裏(だいだいり)




一条に辿り着いた絢香の前に、鮮やかな朱色の門がそびえ建つ。

「わっ、大きい門……」
「これが、朝廷の南側の正門朱雀門だよ」

見上げると、この門には金字の毛筆で朱雀門と書かれていた。

「わー、広ーい!」

朱雀門をくぐると左右の端を壁で区切られ、綺麗に整備されている道に出た。

「この大内裏は、行政施設・国家儀式や年中行事を行う殿舎、帝が生活する内裏(だいり)が設置されてる」

説明しながら歩き出した背の高い迦楼羅に置いていかれないよう、絢香は早足になりながらついていく。

「これから職場に行くんでしょ?」
「気が乗らないけどね、邪魔しなければ後は好きにしてて良いから」

それだけ言うと、迦楼羅は門番が立っている翡翠色の門へ入っていった。
1人になった絢香を門番が見据える。

「…………」
気圧されした絢香は、視線を上に持って行くと霊獣門と書かれていた。

「霊獣門かぁ、強そうな名前……」

そう呟くと、絢香は言われた通りに邪魔しない程度に周囲を散歩し始めた。





同刻、大内裏中央 内裏


大きな橘の木が見える橘侍従殿(たちばなじじゅうでん)の庭に、音もなく現れた白銀色の髪をした男が方膝をついた。

「高麗か」

庭を背に、豪華絢爛な寝殿造りの廊下に座っている主人らしき人物が、庭に現れた男の名前を言い当てた。
主人が奏でる綺麗な琵琶の音色が庭に響く。

「お屋形様、大内裏に一ノ宮内親王様がお見えになっております」

高麗(こま)と呼ばれた白銀の男が口を開く。
その途端、ぷっつりと琵琶の音色が止んだ。

「高麗、一宮など居ないのだよ。もう、15年も前に失踪したのだからね……」
「おいたわしや、お屋形様。主君ではない斎君(いつきのきみ)の命令を聞かざるを得ないとは……この高麗、口惜しゅう御座います」
「これ、高麗。斎君がそう言うのだから、私はその娘が本物かどうか試すだけだよ」

そう言うと男は琵琶を置き、大内裏へと向かう。
高麗もそれに従った。



その頃、絢香は少し奥まった所にある宴の松原と言う広場に来ていた。
そこでは、休憩中なのか数人の武官達が何かを話している。
少し遠かったため、何を話しているのか聞こえなかった絢香は近づいてみることにした。

「あー、怖や怖や……」
「いつになったら、この松原の怪は収まるのやら」
「これでは、どの省府も仕事になりませんな。ほとんどが休みで、出仕してる文官は少ないと聞きますぞ」

武官らしき集団に近づくと、怪現象の噂話をしているようだった。

「すみません、松原の怪って何ですか?」

話の内容が気になった絢香は、この集団に声をかけてみることにした。

「なんだ、この童女は?」
「見かけない顔だな、どの方の殿上童(でんじょうわらわ)だ?」

急に現れた絢香に、武官たちは奇異の眼を向けた。
殿上童とは、行儀見習いとして朝廷の雑務を行う位の高い子供のことである。

「え、えっと……」
「あぁ、すまないね。彼女は私の知人からの預かり物なのだよ」

殿上童と言う言葉を勿論知らない現代人の絢香が答えに困っていると、不意に背後から声がした。
絢香が振り返ると、鎖骨辺りが開いた簡単な平安装束を着た犬耳の男が立っている。
後ろには、白銀色の髪をした男が付き従っていた。

「た、橘中将様のお知り合いの方でしたか!」
「し、失礼しました!!」

現れた男はよほど身分が高いのか、その場に居た武官達は服装を正し始めた。

「ふふ、楽にしてくれたまえ、息抜きの噂話なのだろう?」

慌しくなった武官達の姿が面白かったのか、橘中将は扇子を口元に当てて笑う。

「はっ!!」
橘中将の言葉に、武官達は機械のように一糸乱れぬ動作で足を肩幅に開き楽な姿勢を取った。

「私も怪現象の噂は気になっていてね、詳しい話を聞かせてくれまいか?」
「我々が知っている噂は、昼の12時と深夜12時にこの宴の松原から女の泣き声がすると言う物です」
「姿を見た者は皆同様に『返歌を、返歌を』と、うなされているそうです」
「ほう、誰かが呪詛を仕掛けているのかもしれないね」

橘中将の顔には笑みが含まれていた。

「我々が知っている噂は以上です、そろそろ持ち場に戻らないとなりませんので失礼します」
「あぁ、せっかくの休みをすまなかったね。君たちには期待しているよ」

橘中将の言葉を背に武官達は去っていった。
後には橘中将と絢香が残される。

「あの、さっきは有難う御座います。助けて頂いた上に、怪現象の噂まで聞き出して貰って」
「たまたま通りかかったら面白い話をしていたからね、聞いてみたかったのだよ。私は、橘 禰禰(たちばなのねね)。後ろに居るのは、側近の高麗」
「白児(しらちご)の高麗に御座いまする」

高麗は両袖を合わせると、顔を隠して立礼した。

「私は、和泉絢香です」
「では、絢香殿。熱心に噂話を聞いていたが、この怪現象の原因突き止めてみるかね?」
「はい!!」
「良い返事だ、まずはこの類の専門が居る呪術寮へ行くことにしようか」

禰禰は踵を返すと歩き出す、絢香はふわふわした犬の尻尾がついた背中を追いかけた。




中務省所属 呪術寮

中務省とは、帝の補佐や詔勅の宣下や叙位などの朝廷に関する職務の全般を担う役職。
呪術寮は、その中務省に属し、怪奇現象を中心に占い・天文・時・暦の編纂を担当する部署。
長官は、呪術師の名門土蜘蛛(つちぐも)氏が勤めていた。

「おや、胡弓(こきゅう)殿ではないか」

呪術寮に入ると、禰禰は1人の歳若い男に声をかける。

「あ……」

異様に痩せ細った男が振り返ると、戸惑っているのか視線を泳がせた。

「先月、神仙院の祓いの儀の後、床に臥せっておられたと聞いたが、出仕して大丈夫かね?」

禰禰の問いに胡弓と呼ばれた痩せた男は、返事はせずに小さく頷く。

「お父上殿は息災かね?」

禰禰の言葉に胡弓は再び頷く。

「今、宴の松原の怪について調べてるのだが目ぼしい情報はあるかね?」
「こ、こちらを……」

胡弓が懐から一巻きの巻物を取り出すと、禰禰に渡す。
禰禰は巻物の紐を解き、中身を読み始めた。

「なかなか良く纏められた報告書だった、感謝するよ」

そう言うと、禰禰は元来た道を戻り始めた。
絢香もその後ろをついていく。

「先程の男は、土蜘蛛 胡弓殿と言って、ここの長官殿のご子息に当たる男でね。呪術師としての実力は申し分ないのだが、見ての通り度の過ぎる口下手なのだよ」

禰禰が歩きながら絢香に胡弓についての説明を始めた。

「これからどこへ向かうんですか?」
「図書寮(ずしょりょう)にね。図書寮は、国家の蔵書を管理する場所なのだが、そこでの怪現象が多いらしくてね」

図書寮に入ると、重要書類を保管場所にしては異様に湿度が高いと絢香は感じた。

「あぁ、やはりね……」

周囲を観察していた禰禰が、口を開く。

「やっぱりって?」
「この場所は元々風通しも良く湿度はそんなに高くはない、こんなに湿度が高いことなんてなかったのだよ。しかし、困ったね。このままでは、大事な書物がダメになってしまう」
「大変!急いで中の書類を全部外へ出さないと!!」

絢香は急いで所狭しと収納されている書物を、奥の棚からかき集め始める。

「……浅はかな、だから人間は低俗な生き物なのだよ」

禰禰は扇子で口元を隠すと、冷めた眼で絢香を見ていた。

「如何致しましょう?」

今まで黙っていた高麗が口を開く。
「好きにさせて置きたまえ、すぐに辞めるだろうから」


「あっ!」

何かを見つけたのか、絢香が声を上げる。

「何か見つけたのかね?」
絢香の声を聞きつけた禰禰が歩み寄る。
「この湿気の原因、これだと思います」

絢香は禰禰が見やすいように横に避けると、水で濡らしたように水が滴っている一巻きの巻物を見せる。

「ほう。中を開けてみてはどうだね?」
「はい、何か解るかもしれませんしね」

絢香は禰禰の言われるままに巻物を開こうと手を伸ばす。
絢香が触れた瞬間、巻物は光だし部屋中の湿気が消え去った。

「(話には聞いていたが、本当に触れただけで穢れを祓うとは……)」

禰禰は扇子で口元を隠したまま、視線は絢香へ向ける。
禰禰の視線には気付かない絢香は、湿気で墨の文字が滲んでいるであろうと危惧しつつ巻物を開いた。

「あ、何か書いてある……」

巻物を開くと、墨の滲みはなく、優雅に流れる達筆な字が現れた。

「月影に 圭樹の水面に 映る身の 消え逝く定めは 夢かうつつか」

絢香が、巻物に唯一書かれていた文字を読んだ。

「どうやら、情熱的な恋の歌のようだね。はて、桂樹の水面……」

禰禰がふと考え込むと、巻物を引っつかみ図書寮を出て行った。
絢香と高麗は、禰禰の後ろを慌てて追いかける。



宴の松原


「高麗、この松原で一番根本のコケが多い松の木を探したまえ」

禰禰は松原に辿り着くなり、高麗に命じた。
高麗は一礼すると、一陣の風のように姿を消す。

「お屋形様」
「わっ!!?」

しかし、絢香が二度瞬きをし終わったのと同時に眼の前に高麗の姿があった。

「ご苦労だった、見つかったかね?」
「一番奥の松の木にコケが多ございました」
「では、絢香殿。松原の怪を解決しに参ろうか」
「は、はい…」

さっきビックリした心臓を落ち着かせながら、絢香は松原の奥へ入っていった。
奥へ入れば入る程、不自然なくらい太陽の光が差さず薄暗くなっていく。
高麗の言った通りに、一番奥にある松にだけ異様にコケが多かった。

「あれ?誰か居る?」

松の木の根本に、豪華な刺繍がなされた十二単の女性が顔を隠してうずくまっている。
気分でも悪くしたのかと思い、絢香はその人に近づいた。

「一ノ宮様……」
「高麗」

異様な気配を感じた高麗が絢香を呼び止めようとすると、禰禰が制する。
しかし、禰禰は何かを探るように瞬き1つせず、視線を絢香に定めていた。

「あの……イタッ!!」

絢香が女性の肩に手を伸ばした瞬間、強い静電気が発生し手を引っ込めた。

『憎い…憎い……私を捨てた、青葉が憎い』

心の底から憎む声が絢香の耳に入ってくる。
そして、女性の足元から紫色の根が這い出し始めた。
大きな負の感情に飲み込まれてはいけないと、絢香は心を強く持ち続ける。

『どうして、私を待っては下さらなかったの……どうして、私の歌に答えてはくださらなかったの……』
「今、私が出来ることは……」

寂しさに押しつぶされそうな心を無理矢理押さえつけ、女性はすすり泣く。
この世界に来て感受性が鋭くなっていた絢香には、痛いほどその胸の内が理解できた。
だからこそ、絢香はこの女性が救われるように今まで得た情報を繋ぎ合わせ考え始める。

『そう…やっぱり……お父様達の言う通り、あの男は私を捨てて違う女の所へ行ってしまったのね!!』
「違う!!!」
『…………』

無意識に絢香は悲痛な声で叫んでいた。
絢香の声を聞いたのか、女性は両目が無くなり空洞になった顔を向ける。

『お前が……お前が、私からあの方を奪った女か!殺してやる!!殺してやる!!!』

空洞の眼から、あの紫色の根が大量に生え出した。
綺麗な姿から一変して、黒く長い髪は抜け落ち、白い皮膚を蛆虫が食い破る。
腐った体の肉は削げ落ち、骨だけの姿となったかつての女性が絢香に襲い掛かった。
その瞬間、懐に仕舞ってあった巻物が光りだして絢香を護る。

「ほう、絢香殿が祓った巻物が力を持ったか……」

様子を見ていた禰禰が、感心したように呟く。

「お屋形様」

周囲の気配を感じた高麗が、声のトーンを落として禰禰に伝える

「独り占めはよくないよ、高麗。今こそ、彼女の真価が問われる時。中納言殿も共にいかがかな?」

禰禰はそう言うと斜め後ろに声を掛ける。
すると、後ろの松の木の陰から迦楼羅が出てきた。

「中納言殿も見物ですかな?」
「まあ、ね」

二人は絢香に視線を戻した。

「巻物が、光ってる……」

不思議に思った絢香が懐に仕舞っていた巻物を取り出し、結い紐を解く。
すると、巻物が宙に浮き上がった。
絢香の周囲が白く光る。

「………圭樹の姫………」

白い光の中に、文字が浮かんだ。
その後、光が消えると薄暗い部屋に風景が変わる。
絢香の眼の前には、病に臥した1人の男が床についていた。

「姫……貴女のお帰りを待たず、先立つこの青葉をお許し下さい……」

死期が近い男の小さな声が、絢香の他には誰も居ない静かな部屋の空気を震わす。

「貴女への返歌を贈れないままなんて……悔しくて、死に切れない……ダメだ、未練を残してはダメだ……」

病床の青葉の眼から涙が零れ落ちる。

「この流行病も運命のままに…未練を、残しては……いけない」

胸に抱いた手紙を強く握り締める。

「死ぬ前に一目お会いしたかった、貴女と初めて出会った神仙院で……姫、貴女の幸を心から……願って…おります…」
「死んではダメ!青葉さん!!」

絢香が叫んだ途端、再び周囲が白い光に包まれる。
光が消えると、元の松原に戻ってきていた。

『なぜ!なぜ、私を捨てたの!青葉!!』

青葉への怨みで、がしゃ髑髏になってしまった姫の鋭い爪が絢香に振り下ろされる。

「青葉さんは貴女を捨てたんじゃない!この和歌がその証よ!!」

絢香は、巻物を姫に中身が見えるように広げた。

『お……おぉ……歌……青葉の、歌……』

歌から真実を知った姫の眼から大粒の涙が零れ落ちた。

「まだよ、まだ私が出来ることをしないと」

すれ違ってしまった姫を助けたいと思った絢香は、静かに眼を閉じる。
そして、今まで見てきた青葉の想いを込めて心の系譜を紡ぎ、歌を奏で始めた。

『姫』

巻物から1人の男が現れる。
現れた男は、絢香が見た青葉と言う男であった。

『青葉』

絢香の歌で穢れが浄化された姫の体は、生前の美しい女性に戻っていた。
二人は手を取り合うと、天高く昇っていく。
絢香の耳には、微かに「ありがとう」の言葉が響いていた。

「兄上……」

絢香の近くにあった松の陰から、呪術寮で会った胡弓が現れた。

「あの人、貴方のお兄さんなの?」
「…………」

絢香の問いに、胡弓は静かに頷いた。

「胡弓殿、この一連の騒動は君の手によるものだと憶測したが、如何かね?」

絢香と胡弓の所に禰禰が歩み寄る。
しかし、胡弓は黙っているだけで否定も肯定もしなかった。

「本当に貴方が、この怪現象を起こしたの?」
「……これが望み……神仙院で聞いた、兄上の望みならば……」

絢香の問いに胡弓が口を開いた。

「可笑しいと思ったんだ、土蜘蛛の術師が霊を鎮めただけで倒れるわけがない。神仙院で倒れたのは、自身の身を青葉に乗り移らせたんだろ」

迦楼羅は悔しそうな口調で言うと舌打ちする。

「まぁ、まぁ。解決してよかったじゃない、これで怪現象も起きないでしょ」

絢香は苦笑しながら迦楼羅を宥めた。

「左様、この松原の怪異は静まりました。一ノ宮内親王、見事な手腕とくと拝見させて頂きましたぞ」
「ね、禰禰さん?」

急に真面目になった禰禰に絢香が戸惑う。

「本日より、橘中将とお呼びください」

着崩していた着物を整えると、禰禰が静かに答えた。

「戸惑っている暇はないよ、君はこの世界に戻って来た。君みは君の役割が待っている、これから沢山ね」

戸惑っている絢香に迦楼羅が言った。

「戻って来た?私は甘城先生に連れて来て貰っただけで……」

絢香はここに来た事を思い出して黙り込む、木造の旧校舎に甘城を残してきてしまった罪悪感に襲われた。

「気にすることなどございませんのよ、一ノ姫」

不意に、背後から声がして絢香は振り返る。
ゆったりとした飛鳥時代の衣服を纏った初老の女性が立っていた。