七条に散る仲間
坂本死亡の報せを受けた伊東は坂本の死を悼むと共に、周囲の警戒を殊更に強めた。 そんな折、近藤から分派と言う名目で袂を分けた伊東と今後についての話し合いが設けられる。 部下達の反対を押し切り、伊東は単身、会合場所となっている近藤の妾宅へと現れた。 「今宵はようこそお越し下さいました、伊藤先生」 伊東の盃に酒を注ぎながら、近藤は久方振りに会った伊東に笑いかける。 隣には眼を伏せた土方と明るい笑みを絶やさない沖田が席を連ねていた。 「いえ、今後の為にもこう言った話し合いは必要な物と私も常々思って居りました」 近藤の酒を受けながら、伊東も微笑して答える。 「今宵の為に伊東先生には、島原一の太夫を置屋より呼んで居ります」 そう近藤の言葉と同時に、到着した太夫の摺り足で歩く足音が廊下に響いた。 「ほう、それは楽しみですね」 そう言いながら、伊東は入り口の襖に視線を向ける。 「失礼します」 京訛りのか細い女性の声が掛けられ、襖が開いた。 「如何ですか、伊東先生。置屋が誇る太夫、東雲太夫です」 「東雲どす、どうぞ宜しゅう」 近藤の紹介後、東雲と名乗った太夫も優雅に頭を垂れた。 「……素晴らしい……正に、開いた口が塞がらないとはこの事を言うのですね」 華やかに着飾った白磁の肌の太夫から視線を移さず、伊東は呟いた。 「嬉しゅうおす、伊東センセにそないな事を言うて下はるなんて」 そう微笑みながら東雲は伊東の隣に着き、空になった盃に酌をした。 この今後についての会談と言うのは表向きの事である。 その真の目的とは、伊東を酔わせる事その物であった。 午後十時過ぎ、上機嫌にほろ酔い気分となった伊東は帰り支度を始めた。 「フフッ、少々飲み過ぎましたね。ですが、美しい太夫から貰う二日酔いなら喜んで頂きます よ」 そう太夫に微笑むと、酔いでフラ付きながら伊東は立ち上がった。 「大丈夫ですか、伊東先生?総司、月心院の屯所まで先生を送って差上げなさい」 フラ付く伊東を心配してか、近藤は沖田に伊東を送る様命じる。 「承知しました。先生、僕が屯所までお送りします」 「これは頼もしいですね、武勇に名高い沖田君が一緒なら、夜道も安心して歩けますよ。 では近藤先生、今宵はここで失礼します」 酔った体を支えて歩く沖田に、伊東は笑みを絶やさず歩いて行った。 「ふう……なぁ、トシ。何故、俺達はこういう終わらせ方しか出来ないのかなぁ……」 自分の盃の中に入っていた酒に顔を映しつつ、近藤は静かに呟いた。 「近藤さん、最初に暗殺を企てやがったのはあっちだ。ここで、アンタを討せる訳にゃ行かねぇ んだ。ケジメは着けてくれ、羞じを忍んで太夫を演じたコイツが可哀想じゃねぇか」 そう土方は静かに言うと、東雲に視線を変えた。 「そうだったな、済まなかったなフジ。ご苦労だった」 「いえ、結構楽しかったですよこの格好」 近藤が太夫の本名を言うと、先程まで京言葉を喋っていた東雲、否藤乃は流暢な公用語で返し た。 「お前、ちゃんと伊東の酒に睡眠薬入れたんだろうな?」 「入れましたよ、失礼ですね。即効性ではありませんが、もうそろそろ、効果が出てきます」 疑惑の眼差しを土方から向けられ、藤乃は自信有り気に懐から赤い包み紙を取り出した。 「後は、総司が手早く済ませれば第二段階に移行出来るな」 煙管に火を付け、ソレを吹かしながら土方は呟いた。 「では、私は島原に寄ってから帰ります。この衣装、返さなければならないので」 「油小路には近付くなよ、太夫が刀を持っている筈がねぇんだから」 「近付きませんよ、こっちは大幅な迂回を余儀なくされているんですからね」 土方の忠告に不満で答え、藤乃は付き人役の山崎を連れて出て行った。 一方、油小路では静かな時間が流れていた。 「時に沖田君、君は女と言うものは如何言うものかご存知ですか?」 「さぁ〜?僕、今まで剣の道一本でしたから」 先頭を歩いていた伊東が突然立ち止まり、沖田の方に振り向くと謎掛けじみた言葉を投げかけ た。 「ふふ、若いですね。一般の女性なら綺麗に着飾り、女の美を引き立たせる。ですが、例外は 在るもの。紅い血潮を被り、月に妖美なる姿を映す。今宵の彼女は、美しかったですか?」 伊東は優雅な笑みから一変して確信を持った笑みに変えると、刀をゆっくり抜いた。 「いつから、藤乃さんが間者だと気付いてらしたんですか?」 伊東の様子に別段慌てる事も無く、沖田も抜刀した刀を構えた。 「おや?沖田君、私を見くびっては困りますね。抜き身の懐刀程、神経使う物はありませんよ。 まぁ、初めのうちはまんまと騙されていましたけれどね」 「それは発見ですね、後で土方さんに報告して置きましょう」 間合いを取って答える伊東に、沖田はおどけて笑いつつ間合いを取った。 「それから、着物の袖に隠して赤い包みの中身を酒に混ぜていましたね。アレは、何ですか?」 間合いを取りつつ、伊東はふと思い出した様に問い掛けた。 「今に解りますが、知らずに死ぬのもまた一興ではありませんか?」 そう言って微笑む沖田の瞳は瞳孔が開いて居り、どちらとも無く斬りかかった。 数分後、月心院の御陵衛士屯所に近藤から一通の手紙が届いた。 「内海さん、近藤は何と?」 灯篭の下、静かに読み終えた内海に篠原は問うた。 「伊東先生が……討たれた。先生のご遺体は、七条の油小路に野晒しにされているそうだ……」 眉間に皺を寄せ、苦悶の表情で答えるが、怒りで声が震えていた。 「おのれ、近藤!だから俺は、先生が単身で赴かれるのは反対だったんだ!」 誰に言うでも無く怒りを露にした篠原は、拳を強く畳に打ち付けた。 「先日の坂本さんの件と言い、大久保様の仰っていた通りになりましたね」 頬杖を突き、軽く手紙に目を通した加納はやる気無く答えた。 「先日の事も今回の事も、我等が事前に情報が得られたのは、薩摩の大久保様の御陰だ」 加納の性格を知っている皆は別段諌める事も無く、加納の言葉に篠原が答えた。 「それより皆さん、油小路に向かいましょう。伊東先生を手厚く供養して差上げなければ」 悲しい結果に心を痛めた服部は、躍起になるなる同志達に尤もな事を静かに述べた。 「あぁ、そうだ。皆、必ず新撰組が待ち伏せて居ると言って良い。気を引き締めて行くぞ」 内海が立ち上がると、全員も真剣な表情で立ち上がる。 「(近藤さん……)」 周りが次々に出て行く中、複雑な心境の藤堂は一人眼を伏せた。 三本木を後にし、京都御所の堺町御門を通る丸太町通を歩いていた途中でふと足を止めた。 「小松先生、そちらの道は油小路に続いています。こちらから迂回しましょう」 二条城を通る堀川通を見詰めていた藤乃に、山崎が声を掛ける。 「山崎さん、仕事が立て込んでいる様なら先に戻っても良いですから」 真剣な表情で堀川通を見詰めつつ、藤乃は山崎に答えた。 「心配ですか?酒が入った人に、しらふの沖田先生が負けるとは思えませんが……」 「そうね。けど、相手は北辰一刀流皆伝者……(薬使っているのに、何?この不安は……?)」 藤乃は言いようの無い不安感に刈られ、眼を伏せると考え込んだ。 「見に行きますか?そんなに、気になる様でしたら」 「え!?でも、何か在ったら山崎さんに責任が――……」 「油小路には、ここからだと距離があります。その間に、全て終わっているかもしれません」 驚いて答える藤乃に、山崎は監察の仕事で歩き回っていた知識を生かし、笑って言う。 その言葉に励まされた藤乃は急遽、行き先を島原から油小路に変え、堀川通を南に下り始めた。 「(全て……総司、平助。何故、こんな事に……!)」 何も出来ない自分を歯痒く感じつつ、藤乃は奥歯を噛み締めた。 山崎が言った通り、二人が七条に差し掛かった時には二時間は経過していた。 そんな折、反対の通から一人の侍が走って来る。 「太夫、お下がりくだんせ!」 新撰組と御陵衛士が入り混じっているこの通で、正体が知られるのを避けるべく山崎は太夫の 付き人と言う島原の若衆役に徹した。 「ま、待て!そこを通してくれるなら、危害は加えない」 そう言って走って来た侍は御陵衛士の篠原であった。 篠原は新撰組に殲滅された御陵衛士の残党として敗走して来たのである。 「何しはっておるんどす?」 知らずに通ったと思わせる為、藤乃扮する東雲太夫が篠原に問うた。 「唯の人情沙汰だ。太夫、血を見たくなければ迂回する事をお勧めする」 そう言い残した篠原は月心院の屯所へと戻るべく、通を北上して行った。 「先生、逃走した御陵衛士の残党を調査しますので、傍を離れますが宜しいでしょうか?」 「えぇ、ご苦労様でした」 此処で山崎とは別れ、藤乃は単身で血の匂いが充満する奥へと歩いて行った。 斬り合いの現場となった十字路に足を踏み入れると、予想通り新撰組隊士しか居らず、 所々で後始末が行なわれている。 藤乃は数人の人だかりが出来た一通路に眼を向けた。 「……っ、平助!!?」 立っていた原田の足がずれ、その隙間から見えたのが藤堂だと解り藤乃は声を上げ、駆け寄っ た。 「藤乃ちゃん!?何故、ここへ?」 藤堂を抱き抱えていた永倉が驚いた声を上げる。 「平助、平助!何故、こんな事に……」 そう言って藤乃はしゃがみ込むと、脈と心音を測り始めた。 「……あぁ、藤乃か。誰かと思った……綺麗じゃん」 息も絶え々に、薄く眼を開けた藤堂が喋った。 「喋るんじゃねぇよ、平助。おい、コイツの容態は如何だ?」 「もう、良いよ左之。着物が汚れる……ソレ借り物なんだろ?」 焦って言う原田に藤堂は弱々しく笑うと、藤乃の手首を掴み診察を止めさせた。 「良く解ったな、借り物だなんて」 痛みを堪え、懸命に笑う藤堂に永倉も懸命に笑って言った。 「だってよぉ、ぱっつぁん。コイツが、こんな綺麗な物持っている訳無いじゃん」 喉の奥で笑いながら軽口を叩く藤堂にその場に居た全員は懐かしさを覚え、永倉・原田・藤乃の 三人は涙腺を緩ませ、沖田は顔を背け、斎藤は眼を伏せた。 「気を付けて、これ仕組んだの薩摩だよ」 急に真顔になった藤堂は、斬られた傷を押えつつ絞り出す様な声で全員に警告した。 「坂本さん殺しを新撰組の仕業だって吹聴してんの、中村半次郎って言う薩摩藩士……多分 大久保様、坂本さんが論じる公武合体を疎んじてたんだと思う。だって、話が美味過ぎじゃ ん。俺等、坂本さんと伊東さんが新撰組に狙われてる事、薩摩からの手紙で知ったんだぜ?」 そう言うと藤堂は悔しさに顔を歪ませた。 「じゃあ、俺達は薩摩に仕組まれたって事か!?クソッ、薩摩のヤロー共!」 「バカ野郎、何でもっと早く言わなかったんだ?言っていれば、少しは違っただろ」 頭に血を上らせて居る原田とは対照的に、永倉は努めて冷静に問うた。 「確信が無かったんだよ……証拠も無かったしさ。それに、裏切った奴の話だよ?」 暗い夜空を見上げながら、藤堂は笑う。痛みを感じなくなったのか、二の句は眼を閉じて言っ た。 「あー…眠い。血が、足りねぇの…か…な――……」 「「平助!?」」 永倉と原田が同時に叫び、藤堂を抱えていた永倉が藤堂を揺する。 しかし何度、永倉が名を呼び、身体を揺すろうとも藤堂はそれっきり口を利く事は無かった。 「平助…?ねぇ、起きなさいよ……平助!平助!!」 永倉の横から藤乃は藤堂の胸倉を掴み、強く揺すりながら動かない仲間の名を叫び続けた。