藤乃の誠
同年三月、甲州へ向かう途中新撰組は土方の姉が居る日野の佐藤邸に立ち寄り故郷に錦を飾った。 英雄として迎えられた新撰組は、故郷を上げての大宴会を催される。 「甲府は未だ先だと言うのに、俺達はこんな事をしていて良いのか……」 盃の酒を眺めつつ、永倉は土方と共に上座で故郷の人々とはしゃぐ近藤を呆れて見やった。 「良いんじゃぇの?俺、こう言う宴会好きだぜ」 永倉の隣に居た原田が酒を飲みつつ、他人事の様に笑った。 「皆さん、少しばかり聞いて下さい」 上座で近藤が宴会に集まった人々を見渡し、声を張り上げた。 近藤の声に周りは水を打った様に静まり、全員は視線を集中させる。 「皆様、本日の宴会新撰組一同心から感謝いたします。京での五年間は我々にとって苦難の連続 でしたが、皆様の陰ながらの応援があってこそここまで来れた次第です。この宴は新撰組然り、  しかし同時に皆様への感謝とさせて頂きたい。そして総司より、皆様に重大発表があります」 大衆への挨拶が終ると、近藤は近くの膳に座って居た沖田に視線を移した。 すると近藤に誘われるまま、出席者全員の視線が沖田に集まる。 沖田は隣に居る筈の人物が居ない事を確認すると、照れ笑いしながら立ち上がった。 同刻、藤乃は早咲きの桜が舞う、自家の墓前に立っていた。 「あ!やっぱりここに居たんですね」 佐藤邸から出て来た沖田が藤乃の姿を見つけると、はにかみながら駆け寄って来た。 「如何したの、そんなに慌てて」 振り向くと藤乃は桜の花の下で微笑んだ。 「三日後になりましたよ、僕達の祝言♪」 沖田は藤乃の頭に着いた花弁を手で取り除きつつ、先程宴の席で決まった事を話した。 「祝言?あぁ、そう言えば未だだったね」 本気で忘れていた藤乃は一瞬眉根を寄せた。 「酷っ!?忘れていましたね?まぁ、戦続きで忙しかったのは解りますけどぉ〜…」 やや冷たい反応に沖田は不貞腐れて答えた。 「ゴメンてば、悪かったよ。そうか、三日後かぁ…身辺整理をしなきゃね……」 沖田に苦笑して答えたのち、藤乃は大きな桜の木を見上げつつ寂しそうに呟いた。 「身辺整理?今更、何を整理するんです?」 心当たりが無かった沖田は藤乃の前髪を掻き分け、右眼の白い瞳を見ながら問うた。 「私事の野暮用よ、総司が気にする事じゃ無いわ」 そう藤乃は答えると、佐藤邸へ歩き出した。 その日の夜中、三次会にまで発展した宴席に近藤を残し、土方は自分に充てられた部屋に戻る。 甲府鎮圧の隊編成をしていた折、藤乃が土方の下を訪れた。 「如何した、こんな夜中に?」 文机に置いてある紙から筆を離さず、藤乃に問うた。 「兄さんに、話があって来ました」 何時にも増して真剣な声色に、土方は筆を置き、顔を上げた。 「祝言の挨拶なら他を当れ」 両手を着き、頭を垂れる藤乃に柄にも無く土方は照れた。 「刀を返しに来ました」 畳に顔が近かった為声はくぐもっていたが、土方の耳にははっきりと聞えた。 「……何?」 「剣士を辞めさせて下さい」 怒りで声質が落ちた声に、藤乃は内心恐れながら刀を前に差し出した。 「ふざけるな、一度刀を持った以上、最期まで人斬りに生きろ。途中下車は、許さねぇぞ」 「好きで、愛刀を捨てられる訳が無いじゃないですか!もう、戦えないんですよ!!」 最後で愛刀を手放さなければならない現実に、悔し涙を流しながら声を荒げた。 「私も最期まで、誠の下で戦いたかった!けどもう、右眼が死んで見えないんですよ!」 土方が驚き何も言えないでいる中、藤乃が続けたのち廊下に陶器が割れる音が響く。 土方が勢い良く襖を開けると、茶が入った湯のみを落とした市村がうろたえて立っていた。 「あ…その、副長にお茶を……その、あの…すみません……」 視線を泳がせていた市村は一瞬だけ藤乃と眼が合い、すぐに視線を逸らした。 土方は市村に部屋への道を開け、無言の命令に市村は体を動かすと部屋の隅に縮こまる様に座る。 「足手まといが隊に残る資格は在りません、法度が邪魔すると言うなら切腹をお命じ下さい」 襖の戸を閉め、土方が席に着くのを見計らうと藤乃は右眼を隠す様に伸ばしていた前髪を掻き 揚げ、死んだ瞳を行灯の淡い光の下に曝け出した。 「落ち着け、何も死ぬ事ぁねぇだろ」 「いいえ、私は士道に背きました。胎に子が居る以上、侍には戻れません」 「!?子が……胎に居るのか?」 藤乃の告白に土方が驚き呟く、同時に市村は眼を見開いた。 「今まで死ぬ事ばかり考えて生きてきました、けれど、変わりたいんです。今まで得た怨みは  一生掛っても消えません、ですがこれからは総司とこの子の為に生きて行きたいんです」 藤乃の心からの訴えを聞いたのち、土方は月姫を引っ掴むと半分位まで鞘から抜いた。 丹精を込め、丁寧に手入れしてあった白刃が行灯の光に淡く煌く。 心底大事にしていた事が見て取れ、刀を鞘に収めると土方は静かに呟いた。 「コレの事は、今後一切忘れろ。何があろうとこっち側に戻って来るな、死地にまで来る事ねぇ」 「身勝手な我侭を聞いて下さり、有難う御座います」 土方の許しを得た藤乃は愛刀を視界に入れない様、頭を下げたのち足早に部屋を去って行った。 再び静かになった室内で、土方は黙々と文机に向かって隊編成の作業に戻る。 隊士名簿の一覧表に眼を止め、藤乃の名に一本の削除線が引かれた。 「市村」 「は、はい」 視線を変えず、筆を動かしながら急に声を発した土方に市村は驚きつつ応答した。 「その目障りな刀、近藤さんの眼の届かない所に処分して置け」 主人を失った妹刀を差し、土方は淡々と言い放つ。 「え?ですが、これは小松先生の――……」 非情に指示する土方に五年も仕えていた市村は、言葉少ない上司の本心をすぐに見抜き意見を 言いかけた。 「二度、同じ事を言わせるな。言って置くが、この件は他言無用だ」 土方の頑なな姿勢に市村は従う他無く、刀を携え一礼すると部屋を後にする。 こうして夜は更けて行った。