近藤 勇
慶応四年(1868年)三月の後半、沖田夫妻を欠いた新撰組改め甲陽鎮撫隊は甲州勝沼の戦いに出陣するが、甲府を鎮圧する所か逆に新政府軍に占拠されて居り惨敗に帰した。 この頃から既に、和服から洋装に変っていた土方は沖田の見舞いに、浅草の今戸神社に住んでいた松本の指示で近くの千駄ヶ谷に新居を構えていた沖田夫妻を尋ねた。 「気分は如何だ、二人共」 髪を短く垂れ流した土方が縁側から顔を出した。 「うっわ、洋装の兄さんを見る日が来るとは」 女性物の着物を着、口に紅が付いていた藤乃は土方を見た途端、好奇心半分な声で答えた。 「物凄く、似合いませんね」 「うるせぇな、この家はロクに茶も出せねぇのか?」 藤乃の手を借り、布団から起き上がった義弟からも不評を貰った土方は苦笑して言った。 「兄さん、粗茶しか在りませーん。如何しましょう?」 「安心しろ、期待はしてねぇ」 台所でふざけながら茶の用意をする藤乃に、土方は普段通りの軽口で答えた。 「それで、勝沼は如何なったんですか?」 「あ、あぁ大丈夫だ。お前等が気にする事は、何もねぇよ」 沖田からの問いに一瞬顔が曇ったが、二人の事を考え土方は勝沼での偽の戦況を報告した。 「……藤乃さん、そろそろ検診の時間です。散歩がてら、早めに家を出てみては如何です?」 土方の表情の変化を見ていた沖田は、愛妻に今戸神社へ行く事を勧めた。 「ん?もう、そんな時間?じゃあ、師匠の所へ行って来るよ面倒だけど。兄さん、ごゆっくり」 それだけ言うと、藤乃は母体の検診に師が居る今戸神社へ歩いて行った。 「で?実際の所は如何なんですか?」 二人だけになった事を見計らい、沖田はツツジが咲く庭を眺めながら義兄に問うた。 「散々だったぜ。近藤さんにも言ったが、もう剣槍の出る幕はねぇ。だが、それ以上に深刻なの  は、医者の数が極端に少ない。ロクに手当てが出来ねぇから、致命傷になっちまう……」 真剣に聞く沖田に土方は訴える様な眼差しを向ける、二人の髪が風に揺れた。 「……止めて下さい、僕の妻は刀を捨てたんです。戦場になど、連れて行かせませんから……」 「落ち着け、そんな事を言いに来た訳じゃねぇよ。覚悟して置け、近藤さん死ぬ気だ」 静かに視線を逸らす沖田に土方もツツジに視線を変えた。 「………え?」 沖田の呟きを耳に、土方は視線を落とす。 暖かな陽射が土方の黒い服を照らした。 「死ぬって……まさか、肩の傷を憂いて……?」 驚いた沖田は真意を確かめるべく、土方の隣に腰を下ろした。 「自分で納得したんだ、そんな女々しい事はしねぇよ。勝沼で負けた時、あのヤローこんな事を  言いやがった。敗戦しか采配出来ない自分をいつでも見捨ててくれて構わない、自分より俺の  方が指揮官に向いていると。賊軍の大将としてその首を狙われているのは重々承知している、  仲間を道連れにすまいと考えた結果なんだろうが。それを聞いた時、思わず殴っちまった……」 握った拳を眺めつつ土方は呟く、沖田も土方の拳を見詰めた。 「いきなり剣槍を捨て、銃や大砲に持ち替えた所で戦場は変らねぇし、鍛錬も不十分なのも  解っている。だがよ、こう思わずには居られねぇんだ。せめてあいつさえ居てくれりゃ、  戦死者は軽減するのによ……」 「……貴方は軍医を手放した、そしてあの人は刀を手放した。もう何もかもが遅すぎたんです、  あの人はもう僕の妻です。僕より先に死なせる気はありませんから……」 「そう何度も言わなくても、解っているさ。あいつを頼む、一人にしてやらないでくれ……  長居をした、また機会があれば寄らせて貰うぜ」 沖田の言葉を聞いた後、土方は立ち上がり、座る為に抜いて置いた刀を腰に巻いたサラシに 差し込む。再び裏口から出て行く土方を白いツツジの花と青白い顔の沖田が見送った。 それっきり、土方は沖田と会う事は無かったという。 同刻、師の居る今戸神社に到着した藤乃は戸を叩こうと手を伸ばすが、思い留まった。 いつも刀を差していた左腰には何も無く、妊婦特有の下胎に重みを感じながら立ち尽くす。 「何やってんだ、お前?」 訪問診察をしていた松本が帰宅途中、玄関前に見慣れた後ろ姿を見つけると頭を小突いた。 「師匠、外来でしたか」 藤乃も振り向き、医療箱を下げた家主に道を譲る。玄関の戸を開けつつ松本が問うた。 「今日は早ぇな、如何した?」 「いえ、別に。主人に客が来たもので……」 「あ〜、追い出されたのか?」 藤乃を座らせつつ松本は笑って言った。 「う〜ん、やっぱりそうなのでしょうかね?」 「はっきりしねぇな〜…お?順調順調♪男児だな、こりゃ」 顎に手を添え唸る藤乃の胎に聴診器を当て、松本は二つ目の心音を聞き取ると言った。 「何故、男子だと?」 「勘だ!」 カルテに書き添える松本に問うが、視線を合わせず自信に満ちた答えが返って来る。 その答えを聞いた藤乃は呆れた様に鼻で笑うと、境内の桜に視線を変えた。 「勝沼も、やはりダメなんですか?」 桜から目線を戻し、松本を見ながら言った。 「あぁ、ボロ負けだ。だが、訊いて如何する?おめぇにはもう、関係無い事だろ」 松本は視線を桜に変える。 「えぇ、そうですね。私にはもう、関係の無い事……」 刀を持たなくなった両手を見詰め、藤乃は呟いた。 「しっかりしろ、バカ弟子。もう一度昔みたく、医の道から訓え直さなきゃならねぇか?」 「医は仁術と言フ、人命や病苦を救フ仁愛の道と説くヲ医学とス*Yれはしません、修行時代 毎日復唱させられた言葉でしたからね」 藤乃は松本の言葉に、修行時代に覚えさせられていた言葉を久々に復唱して応えた。 「そうだ、何があっても忘れるな。医は仁術だ、仲間だけを助ける物じゃねぇ」 「解っていますよ、私にはもう戦う理由も義理も無い。一度捨てた刀だって、戻っては来ません」 藤乃の言葉に松本は口を噤んだ。 「もう、帰ります」 診察も終わり玄関の戸を後ろ手で閉め、外に出ると藤乃は空を見上げる。 「理由も義理も無ければ、忠義も無い。私にはもう、戦う術すら残って居ない……」 所々に白い雲が流れる青空を眺めつつ静かに呟いた。 同年四月、新撰組は流山に陣を布いた。 「失礼申す、わしは薩摩藩の有馬と申す。おはん等の責任者に取り次ぎを要する」 赤い獅子頭を被った新政府軍の官僚は、門番をしていた若い隊士に睨みを利かせる。 それに驚いた隊士は、速やかに近藤と土方を呼びに中へと向かって行った。 「何故、バレた!甲府からずっと本名を名乗らず、偽名を名乗っていたと言うのに!?」 中に駆け込んで来た隊士の話を聞き、近藤が声を荒げた。 「取り合えず出向こう、近藤さん。奴等にバレ無い様、取り繕って追い払うんだ」 隊士の殆どを演習に出払わせていた事を後悔しつつ、土方は近藤を連れて門へと出て行った。 「お待たせいたしました、私がここの責任者をしています大久保大和と申します」 「内藤隼人と申します」 有馬の前に出てきた近藤と土方は、毅然とした態度で各々の偽名を名乗った。 「この近辺に新撰組が潜伏しとると、付近の住民からの通報があった。訊けばおはん等、  荒野で大砲の鍛錬をしておるそうだな?」 「確かに大砲の鍛錬は致しておりますが、新撰組と一緒にされては心外ですな」 有馬の問いに大久保と名乗った近藤が答えた。 「我等は付近の村々から集った、有志の自衛団。一度戦が起これば、微力ながら新政府軍の  皆々様の助太刀になればと、日々鍛錬を行なっている次第です」 内藤と名乗る土方の二枚舌が近藤の言葉を引き継いだ。 「折角だが、助太刀など不要だ。即刻、武力解除を行い責任者の大久保は我等と共に軍への出頭  を命ずる。我等への反乱でなければ、すぐに出来る筈でごわそう?」 薩摩訛りの強い口調で有馬は近藤を見た。 「……解りました。少し猶予を下さい、武装解除と言っても時間が掛かります故」 有馬の鋭い視線に近藤も鋭い視線で返すと口を開いた。 「十五分だ、それ以上は待ち申さん」 近藤は有馬の言葉に礼を述べると、土方を伴い中へと戻って行った。 「やっちまうか、近藤さん。相手は数人だ、演習に出した連中を呼び戻せば――……」 「ダメだ!軍へ来いと言っていただろ?今ここに居なくても、近くに駐屯地があるんだ」 室内に戻ると、近藤はすぐに口を開いた土方を制した。 「だがよ、近藤さん。このままだと、アンタ奴等に……」 「トシ、すまない。俺は、ここで腹を切る。この首が敵の手に落ちるなら、今ここで」 「早まった事すんじゃねぇよ!ここに藤乃が居たら、泣いてアンタを止めるぞ!!」 脇差を抜いた近藤の胸倉を掴み、土方が声を荒げた。 「このままでは、お前達まで被害を被るんだぞ!俺一人で済むなら、その方が良い……  今度会ったら、フジに謝って置いてくれ。次の局長にしてやれなくて、済まなかったと」 自分の胸倉を掴む土方の腕を掴みながら、近藤は言った。 「断る!自分で謝れ!頼むよ、近藤さん……死ぬなんて言わねぇでくれ。生きてくれ、近藤  さん。俺達の為にとは言わねぇからさ、せめて藤乃の為に生き続けてくれよ」 近藤の胸倉を揺さ振ると、土方は泣きながら言った。 「知っているだろ?俺は昔から嘘は下手だし、隠し事もロクに出来ない。お前みたいに、良く  回る二枚舌を持っている訳でもなけりゃ。気転を利かせられる程、頭の回転が速い訳でも無  い。だが、今日程お前を見習おうと思った事は無い。この近藤勇、一世一代の大嘘を大久保  大和として、敵陣のド真ん中で吐こうと思う」 優しく微笑みつつ、近藤は脇差を鞘に仕舞った。 「あぁ、そうだ。生きるんだ、近藤さん!大嘘吐いてでも、また四人で笑おうぜ」 思い留まった事を喜び、土方も笑って言った。 「あぁ、また四人で笑おうな」 「あぁ、またな」 昔の様に故郷で四人集まる事を信じ、近藤は単身で有馬の所へと向かう。 しかしそれ以後、近藤と土方が再び笑い合う日が来る事は無かった。