路を示す
同年四月の下旬、土方は部下の相場を連れて勝に会うべく江戸城を訪れた。 「本日は、官軍に捕らわれた近藤の助命嘆願書を書いて頂きたくお願いに上がりました」 「はぁ?こっちの返事も聞かず、勝手に陣を流山に移動させたお前等何か知らねぇよ!」 頭を下げる二人に勝は呆れて言い放つ、土方も心当たりがある為無言で叱咤を受けた。 「と、言いたい所だが…こちらの要望が聞き入れられている以上、無下にも出来ねぇか…  土方、お前のその脇差藤乃の月姫だろ?脇差にして置くには、ちと長ぇ様だぜ」 「……はっ、左様で」 中途半端な長さの刀を指摘する勝に、土方は少し間を空けて答えた。 「そうか…よし、嘆願書は書いてやる。だが、期待はしねぇでくれよ。お前さん等は、それなり  の事はしているんだからな」 そう応えると勝は文机に向かい、嘆願書をしたためる。 「有難う御座います」 数分後、土方は書き上がった嘆願書を受け取ると、部下に渡し、急いで江戸城を離れる。 「刀まで手放したか……」 そう言って一人になった勝は、静かにキセルに火を入れた。 同刻、江戸の板橋にて近藤の処刑が執り行われ様としていた。 「貴様は幕府に加担し、天子様に弓を引いた賊軍新撰組の近藤勇に相違無いな?」 審問していた官軍将校が、白装束に身を包んだ近藤を見下して言う。 「いかにも」 近藤も静かに睨み返した。 「大変です!勝様からの書簡が届いております」 突然、下級兵士が現れ、手紙を責任者に渡すとその場に居た将校の面々が覗き込む。 読み終わると、全員は無言で近藤に鋭い視線を投げた。 「……助命嘆願書だ。だが、お前は打ち首と決まっている」 「(助命嘆願?トシか…)構いません、別れは惜しんで来ました」 近藤は一瞬だけ微笑むと、静かに言う尋問官に答えた。 「何か言い残す事は有り申さんか?」 有馬が言った。 「……一つだけ。小松藤乃と言う娘をご存知ですか?」 「何言うっちゃ、有名な娘御じゃ。わし等の中で知らんモンは、無学者の下っ端だけじゃき」 有馬と対で白い獅子頭を被った者が言う、土佐訛りからして土佐藩の出自だと言う事が解った。 「現在夫を迎え、戦前から身を引いたのも有名な話だ」 床几に座って居た責任者らしき人物が答えた。 「その娘の審議だけが心残りです……」 「現在、二つの論議があり申す。新撰組に組した故、賊軍として捕らえ首を刎ねる。又は、我々 の厳重な監視の下、医学向上の為生かすか。だが、安心申せ。上層部には父御に借りがある者  も居るし、勝様が眼を掛けて居られる故生かす案が強ぉごわす」 眉を顰めて言う近藤に有馬が優しく答えた。 「……有難う御座います、武士の情けに感謝いたします」 縄で両腕を後ろで縛られているにも関らず、近藤は感謝で深々と頭を垂れる。 全員処刑と思った近藤は、最期で妹として可愛がっていた者だけが生かされる事に涙を零した。 「もう、心残りは無いな?」 近藤の心中を察したのか、さっきまで冷たかった尋問官の声色が少しだけ和らいだ。 「はい、御座いません……(ごめんな、藤乃……トシ、総司、後は頼んだ)」 消え入りそうな近藤の声を聞き、刑の執行人が準備を行なう。 それを近藤は横眼で眺めつつ、先に逝く事を心中で謝罪した。 「(すまない、皆……)」 背後に回った執行人が刀を振り上げ、近藤は口元に微かな微笑みを湛え静かに瞳を伏せる。 新撰組局長近藤勇、板橋にて三十五年の生涯を閉じた。 四月が終わり、桜が緑に色付く五月の始め。 沖田の体力は日々衰え、既に床から起き上がれない程に弱っていた。 「ねぇ総司、貴方まで私を置いて逝くの……?」 飲んだ薬の作用で眠っている夫に藤乃は呟くが、相手から返事が返って来る事は無かった。 処刑された所は見ていないが、近藤が死んだ事を聞いていた藤乃の溜め息が部屋を包む。 ふと視線を部屋の隅に移すと、沖田の愛刀菊一文字が脇差と共にだいづけ台付に飾ってあった。 『コレの事は、今後一切忘れろ』 二ヶ月前の事を思い出し弾かれた様に視線を逸らすが、刀が気になり、盗み見る様に一瞥する。 誰も見ていない事を確認すると、藤乃は憑かれた様に刀に近付き手を伸ばした。 「お止めなさい、それは貴女の月姫ではありませんよ」 突然後ろから掛けられた声に、我に返った藤乃は手を引っ込めると声の主に振り返った。 「……起きていたんだ」 藤乃は早打つ心臓を抑えながら、虚ろな眼で見詰める夫に言った。 「嫌な予感がしたもので……」 天井に視線を這わせながら、沖田は掠れた声で呟く。 暖かくなった風が、静まり返った室内に流れ込んだ。 「そんなに刀が気になりますか?」 「え?」 ゆっくりと虚ろな眼差しを向けて図星を指摘する沖田に、藤乃は驚いて応えた。 「そんなに、刀を捨てた事を後悔して居るんですか……!?」 「ちょっ!?総司、落ち着いて。一体、如何したの?」 眉を顰め、苦悶に満ちた表情で訴える沖田を落ち着かせ様と藤乃は傍まで移動した。 が、急激な感情の変化に反応して沖田は酷く咳き込み、手から血を滴らせる。 「総司!?起きて深呼吸して…」 藤乃は驚くも、気管に血が入らない様に沖田を抱き起こし、懐紙を口元に当ててやる。 「……知っているんですよ。近藤さんが死んだ報せを受けてから、貴女は毎晩庭先で精神統一  をしていたでしょ?いつでも、戦地へ駆け付けられる様にと……」 懐紙を掴む藤乃の手に血の着いた手を重ね、呼吸を整えつつ沖田は視線だけを向ける。 事実を云われ、藤乃は何も言わずに視線を重ねた。 「僕は卑怯な男です…そこまで知って置いて、それでも貴女から刀を奪い続ける。貴女に先に  逝かれるのを恐れ、貴女を一人にしない≠ニ言う約束を違え様としている……」 そこまで言うと、沖田は溜め息にも似た深呼吸をした。 「お願い、止めて…貴方にまで死なれたら、私は如何すれば良いの?」 筋肉が衰え、骨が目立ち始めた細い相手の体を抱き締めながら藤乃は答えた。 「……一つ、貴女に云えなかった事が有ります。京で平助を殺したのは………僕です…」 「……な…んで?え?如何して、総司が……?」 衝撃的な告白に、声を震わせた藤乃は抱き締めていた腕の力を緩めた。 「理由は有りません…貴女は山南さんを、そして僕は平助を。ほら、貴女だけの所為じゃ無い」 そう言うと、沖田は優しく笑う。 「僕ももう、長くはありません。行って下さい、皆の所へ。土方さんも、負傷した隊士達も皆  貴女の事を待っています。あ、でも子供は残して下さいね。この子に罪は有りませんから」 出産が二ヶ月後に迫った胎を撫でながら、沖田は続けた。 「行って……良いの……?」 突然出た許しに、藤乃は驚きながらも答えた。 「貴女は自由奔放な方です。土方さん同様、死に場所は畳の上を良しとしないでしょう?  ですから僕は、貴女の荷を少しでも軽くしたい。忘れないで、先に逝っても魂は貴女と  共に――…………」 口元から一筋の血が流れ、瞳を閉じた沖田は愛妻に身体を預ける様に倒れ込む。 「総司…?ねぇ止めて…連れて行かないで……いやぁ…いやあああぁぁぁ――……!!」 言い知れぬ不安感と絶望感に泪を流し、背筋を凍らす。 冷たくなって行く体を抱き締め、大切なものを無くした子供は泣きじゃくった。 ニ日後、齢二十四でこの世を去った沖田総司の葬儀が執り行なわれる。 共に居た十五年間の内、四ヶ月間の短い新婚生活に二人を知る親類縁者は全員涙を流した。 藤乃は昔両親の葬儀で行なった様に和尚の後ろを歩いて行くが、喪主が妊婦である為か 道中ゆっくりである。普段は身勝手な白夜も、近頃は藤乃の近くに居た。 和尚がお経を唱える中、当時は土葬である為最後の別れに棺の蓋が外される。 死装束を纏い、棺の中で膝を抱える様に瞳を閉じた夫を藤乃は力無く見詰めた。 「藤乃ちゃん、やっぱり刀も一緒に入れてあげたら如何?」 菊一文字を抱えた義姉のおミツが藤乃の肩を叩いた。 「いいえ、お義姉様。総司は生前、刀は使われてこそ煌く。だから室内に飾るも、ましてや  墓に入れる物では有りませんと申して居りました」 そう言うと藤乃は脇差だけを抱える沖田から視線を変えず、家宝を埋める事を頑なに拒んだ。 「ごめんね総司、私には未だやるべき事が残っているの……」 そう呟くと、突然藤乃は和尚の隣で懐から小刀を抜き結った髪を根本から切り落とす。 「だから、今はそっちに逝かない。髪が女の命なら、この髪は遺髪として貴方と共に埋めるよ」 長く伸ばした髪を短髪にまで切り落とし、切った髪を棺の中に入れる。 初めは突然の事で驚いた参列者も、戦前に復帰する事を誓った藤乃にあえて言葉は掛けない。 幼い頃の藤乃を知る人々は、短くなった黒髪を風に靡かせ、逞しくなった背中を見詰めた。 同年七月の中旬、上旬に無事出産を終えた藤乃の所に懐かしい人物が来客に来た。 「よお、元気かい藤乃ちゃん」 「へぇ〜、そいつが総司の子か」 永倉と原田が変らぬ笑みを浮かべ、庭先に顔を出した。 「お久しぶりですね、如何したんですか?」 産後の兆しが良くなりつつある藤乃は、息子を抱え縁側で二人を出迎えた。 「男子か、名前は?」 ガサツな性格の割には子供が好きな原田が、赤子の顔を覗き込むながら問う。 「幼名は宗次郎です、父親の幼名を取って。本名は沖田総護藤原兼義です」 「へぇ〜、もう元服名まで決めてあるのか。良し宗次郎、俺が遊んでやるぜ」 藤乃から名前を聞き出した原田は、宗次郎を抱え縁側に腰を下ろす。 が、突然母親から見知らぬ男に抱えられ泣き出した。 「おい左之、お前嫌われているぞ顔が怖いから」 その様子を永倉が笑って眺めた。 「うるせぇよ、八重歯チビ」 原田も苦笑して言い返すと、宗次郎を慣れた手付きであやし始め泣き止ませた。 「おぉ、意外な特技を発見。確か左之さんもお子さんが居ましたよね?」 急に懐いた宗次郎の様子に驚いた藤乃は、思い出した事を問うた。 「あぁ、宗次郎と同じ歳の男児だ」 原田は視線を変えずに答える。 「髪切ったの?随分とサッパリしているけど」 思いがけない変化に気付いた永倉が声をかけた。 「あ、はい切りました。新撰組の方は如何です?薬は足りていますか?」 隊内の医療事情が気になった藤乃は永倉に問いかけるが、永倉と原田は顔を曇らせた。 「あ〜…ごめん、藤乃ちゃん。俺達勝沼戦の後、意見の相違で近藤さんと別れたんだ」 「今は、上野の寛永寺って所で彰義隊を作ってる」 永倉の言葉を引き継ぎ、原田が近況報告をした。 「そう、でしたか……」 知らない間に変っていた状況に、藤乃は溜め息を吐いた。 「そっちも大変だったね、見に行ったら墓が一つ増えていた」 ここに来る前に手を合わせた永倉は静かに言う。 蝉が鳴く、暑い午後の事だった。