傀儡
池田屋終焉後、屯所に帰営したのち負傷した隊士の手当てや縫合手術等で忙しく走り回って いた。 それも一段落つき風呂場で体中に着いた返り血を洗い流し、気付かれない様肩の治療も行う。 肩の治療が済み、藤乃は患者を見回る時間まで刀の手入れも兼ねて自室付近の縁側で夕涼み をしていた。 「総司の奴、倒れたんだってな?」 夏の風物詩である風鈴が静かに音色を奏でている、そんな所へ煙管を咥えた土方が声をかけた。 「兄さん……えぇ診た所、何処も斬られた外傷はありませんでした。発見した者の証言では、  酷い高熱を発し、意識は無かったそうです。でも、もう意識もはっきりしていますから心配  要りませんよ。本人も、風邪だって言って笑っています」 藤乃は隣に座った土方に確認程度で眼を向けると、また手元の刀に眼を下げ現状を報告した。 「そうか……ソレ、切れ味良いだろう?俺と同じ兼定の作品だからな」 そう言うと土方は煙草の煙を吐きつつ、藤乃の手から手入れ途中の月姫を横取りし夜空に翳す。 すると、刃毀れ一つ無い白刃が妖しく煌いた。 この月姫、昔土方が藤乃の理心流皆伝祝いに買ってやった物で土方の愛刀・和泉守藤原兼定 (いずみのかみふじはらのかねさだ)を鍛えた名刀工・兼定の兄妹刀であるが兼定の銘は与え ずに鍔元から剣先までの形が細くしなやかな為月姫≠ニ銘命された物であった。女の藤乃で も扱える様、なるべく軽い物をとわざわざ土方自身が刀の名所である関(現在の岐阜県関市) まで行って探し出した代物である。 「えぇ、兄さんには感謝していますよ。ですがね、何度言えば禁煙してくれるんですか!」 土方の手から煙管をひったくろうとするが、寸前で手が届かない所まで離されてしまう。 その上、土方の悪戯で顔に煙を吹き付けられてしまい、酷く咽た。 「お前、確か明日非番だったな?」 藤乃が煙で怯むと、その隙に月姫を鞘に納めながら真顔で切り出した。 「えぇ…コホッ。そうですけど?(あ〜、喉が痛い……)」 鞘に納まった自分の愛刀を受け取り、煙のせいで少し涙目になった藤乃が答えた。 「明日、休日返上して奉行所中心に情報を聞き出してくれ」 「承知しました」 奉行所での重要情報の収集任務が言い渡され、藤乃も気を引き締めて引き受けた。 「怪我している所悪いな」 「……バレバレでしたか」 左肩を見やる土方に、藤乃は苦笑して答える。 煙草の匂いで消えたと思った薬の匂いを嗅ぎ付けられ、藤乃は自分の未熟さを実感した。 翌日藤乃は順調に情報を掻き集め、次の目的地である京都奉行所へ行く途中五条大橋を渡る。 その先には一本の立て札が立っており、人々がその立て札に群がっていた。 「おや?ざんかんじょう斬奸状だったか……(当たり前か…)」 興味本意で立て札を見ると、斬奸状が掲げられていた。 斬奸状とは、敵対する者を斬殺する(天誅をくらわす)と言う意味を書いた文章である。 この場合、長州から会津と新撰組へ池田屋襲撃を批判や中傷する事が書かれていた。 そんな折、注意力が散漫になっていたのか人込みに紛れ、煙管を咥えた一人の男が背後から 近付いている事にまったく気付いていなかった。 「オイオイ、ちっとばかし気が緩んでるじゃねぇか?医学の姫君サマよぉ」 「!!?その声は……高杉晋作、アンタまで上京してたのか」 刀の反り部分を背中に当てられ、藤乃は警戒した声で背後の男を睨む。 高杉は吉田と同様、松門四天王に数えられているが馴れ合いを好まず斬り合いや喧嘩を好んだ。 「噂で聞いていたが、マジで幕府の狗に成り下がっていたとはな。面白いだろ?人斬りは」 「何の用?そんな事を言いにわざわざ来た訳じゃないだろ、同志の仇討ちか?」 ニヤニヤ笑う高杉に藤乃は素っ気無く答えつつ、気付かれない様自分の刀に手を伸ばした。 「止めておけ、吉田ごときを斬ったぐらいで俺を斬れると思うな」 静かに刀の柄を握るが、寸前で高杉が柄先を押え抜刀させない。 その鋭い声と殺気に、藤乃は渋々刀から手を放した。 「そうだ、それで良い。余り俺を怒らせるな、己の手でひまつぶし傀儡を失う気はねぇんでな」 「暇潰しとは良いご身分だな、そんなに暇ならまた英国人と戦争でもしたら如何だ?」 高杉は1863年に奇兵隊を組織し、下関で英国と戦争をした下関事件の指導者でもある。 「相変わらず、可愛くない女だ。ところで、お前の伯父君殿は幕任を失脚されたそうだな?  将軍暗殺を目論んだ重罪人として」 そう言うと高杉は薄ら笑いを浮かべつつ、意味深な眼で藤乃を見やった。 「本家が如何なろうと、絶縁した私には何の関係も無い。別にあの人の医療ミスを学会の知り  合いに少し漏らしただけ。唯、それだけの事だ」 高杉の訊きたい事が解った藤乃は鼻で笑いつつ、あくまで自分は無関係だと言い張る。 が、失脚の原因が彼女にあるのは明白であった。 「くくっ、怖ぇ女、全ての布石は整ったと言うわけか。たかが論文一部に、ご大層な事だな」 「たかが?アレは父の遺作であり、私の処女作だ。それを奪ったんだ。利子を付けて返して  頂く」 「でけぇ利子、今までの地位と名誉を奪うとは。そりゃ〜、奴を嫌っていた勝海舟も喜ぶわ  けだ。桂や坂本もお前の事、賞賛していたぜ」 「そりゃど〜も……(坂本龍馬か…確か、お龍の知り合いだったな。後で、話を聞いてみ  るか……)」 京都奉行所での面会予約にまでまだ時間があった為、奉行所に行く前に知り合いのお龍に会い に彼女が働く四国屋に寄り道をする計画を立てた。 「随分と気乗りしていない様だな、これで一段と名が知れ渡ったと言うのに。これを機に  新撰組なんか止めて独立したら如何だ?」 「結構、私は近藤先生の家臣だ。家臣は主君を裏切らない、裏切るくらいなら死んだ方が  マシだ」 「ほう、ならちょうど良い。今回の件で頭に血が上った長州が挙兵した、近々京が揺れる。  血溜まり踏んで生き残れ、死んで俺を退屈させるなよ幕府の操り人形」 そう喉の奥で笑うと去って行く。 高杉の気配が完全に去ったのち、早や打つ鼓動を抑えようと深呼吸をした。 落ち着いた所で早足にその場を離れるが、背中が冷や汗で濡れている事に初めて気が付いた。 四国屋に寄る途中、土佐弁の強い男とぶつかったが互いに急いでいた為軽く詫びを入れ擦れ 違う。 後にこのぶつかった男が、指名手配中の土佐脱藩藩士坂本龍馬だという事に気付いた藤乃が 心底悔しがった事は言うまでもない。