幕末の風雲児
慶応元年(1865年)六月 近年、薩長同盟締結に奔走する幕府の最要注意人物たる坂本龍馬が京に潜伏していると言う 情報が流れ、幕府旗本の次男と三男で編成された見廻組なるエリート集団が町内を駆け回って いた。無論新撰組も探索を行なうが、見廻組を良しとする幕臣からの圧力により行動範囲が制 限される。 そんな中藤乃は三月に伊東が言っていた逃亡中の坂本との面会が実現し、寺田屋に向かっていた。 「最近、やたらと見廻組を見るなぁ……」 坂本と会う為、藤乃は本来の姿である振袖を着て町中を歩きつつ、先程自分を追い抜いて行っ た数人の見廻組の隊士に呟いた。 「でもまぁ、所詮は親の脛かじりの集まり。ボンボン共に、坂本さんを見付けられる訳が無いわ」 そう言いつつ藤乃はなるべく人目を避け、寺田屋へは横にある細い通路を通った。 大体中間辺りまで歩くと、見回組が立ち入ったのか寺田屋の一室が急に騒がしくなり始め、 その下を通り掛った藤乃は騒がしくなった二階を見上げる。 すると、癖毛の強い一人の男が二階から飛び降りて来た。 「え?」 突然の出来事に藤乃は気の抜けた声を上げた。 「ん?……おんしは!?」 藤乃の声を聞いた癖毛の男は振り向くが、相手が藤乃だと解り驚きの声を上げた。 「さ、坂本さん!?って、何故貴方が驚くんですか?今日、会う筈でしたでしょ?」 今日会う筈の人物が降って来た事に驚いたが、藤乃はすぐに尤もな事を質問した。 「ハハ…すまん、すまん。ホンに来てくれっちゅうとは、思って無かったやき」 坂本は笑いながら、土佐訛りが強い言葉で答えた。 が、入り口から出て来た見廻組に大通り側の通路を塞がれてしまった。 「ちと、長話しが過ぎたのぉ。ヘイ、クールガール!わしと一緒に、逃亡するぜよ☆」 そう不敵にウインクすると、坂本は進行方向に居た藤乃を肩に担ぎ一目散に走り出した。 「ええ!?」 突然の事で思考回路が追いつかず、藤乃は素っ頓狂な声を上げた。 その声を聞いた坂本は笑ったが、後ろから来る見廻組の静止命令に掻き消される。 「お〜、お〜。怖い顔しよって、けったいな奴等ぜよ」 坂本は一度振り向くと、走る速度を速めつつ他人事の様に言った。 「貴方を追っているんですよ……」 呆れた藤乃は、懸命に仕事をする見廻組隊士達に同情の念を送る。 そうしている内に坂本は裏手の大通りに出ると、四国屋へ向かい北上した。 そんな折、新撰組屯所に一人の監察方の隊士が駆け込んで来た。 「土方先生!土方先生ぇ!!」 「おい!?如何した、何か在ったのか?」 近くに居た永倉が転がり込む様にして戻って来た監察方の隊士を気遣ってやる。 その騒ぎを聞きつけて他の隊士達も集まってきた。 「邪魔だ、退け!」 「すいません、通して下さい」 呼ばれて出て来た土方が、騒ぎに集まった人垣を押し退ける。 その後ろを沖田が興味本位に着いて来た。 「何だ?」 「申し上げます!寺田屋付近にて、小松先生が坂本龍馬と思しき人物に…つ、連れ去られました」 現れた土方に監察方の隊士は乱れた息を整えつつ、大通りで目撃した事を報告する。 その報告を聞いた周りは慌てふためき、少し離れた所から見ていた斎藤も顔色を変えた。 「うるせぇ、静かにしろ!思しきとは、本人だと確認して無いのか?」 土方は落ち着き払った声で周りを諌めると、詳細を問い出した。 「はい、追っていた見廻組が坂本龍馬と叫んでいました。只今、山崎監察が追跡しています」 「本人と見て間違いねぇな、何処へ行ったか解るか?」 「寺田屋を北上、四国屋と思われます」 「稲荷山の山林を通るな……総司、精鋭部隊を編成して行って来い。奴の銃に気を付けろよ」 そう指示を出すと、近藤にこの事態を伝えるべく局長室へと向かった。 「はい!永倉さん、原田さん、斎藤さんは僕と一緒に来て下さい」 沖田は刀の位置を変えながら真剣な眼で三人を見て言った。 「相手は坂本だ、気を引き締めて行くぞ!」 「おう!六発銃が何だ、俺の槍術にゃぁ勝てねぇよ!!」 「沖田君、稲荷山には寺田屋からの方が遠い。上手く行けば、途中で追いつく事も可能だ」 三人は沖田の周りに集まり、各々手元の得物の位置を確認しつつ言葉を交した。 「えぇ、そうですね。急ぎましょう」 沖田は斎藤の言葉に頷くと、四人は稲荷山へ向けて駆け出した。 同刻、土方の読み通り坂本は見廻組を撒くべく稲荷山に入った。 「ふう、やっと撒いたぜよ。あのしつこさ、中々侮れんのぉ〜……」 後ろを確認した坂本は、藤乃を降ろしつつ乱れた息を整える為に深呼吸をする。 流石の坂本も人一人を担ぎ、長距離を全力疾走した為か疲れた声を出した。 「坂本さん、これからどちらへ行くんですか?」 周りを見渡しながら藤乃は坂本に問うた。 「四国屋ぜよ、そこにマイフレンドの慎太郎と超☆ビッグな大物が待っとるきに」 「ビッグな大物?」 余りにも嬉しそうに答えた坂本に藤乃は首を傾げた。 「ムフフ♪幕臣の、勝海舟ぜよ……」 余り公に出来ない事なのか、坂本は声を落として言った。 その言葉に藤乃は暫し、無言となる。 『奴を嫌っていた勝海舟も喜ぶわけだ』 意識を元に戻した藤乃は、いつかの高杉が言っていた言葉を思い出した。 「幕臣の勝…って、私ごときが、会って良い人物じゃないのでは?」 「何を言っちゅう、おんしは。恩人の娘に会うのに、身分など関係無いぜよ。寧ろ、勝さん 自身が会いたがっとった」 顔を引き攣らせて言う藤乃に、坂本は優しく微笑んで言った。 「私は……もう……」 血の匂いが染み付いた自分が後ろめたく、藤乃は目を伏せる。 「もう、人斬りはエエじゃろう?日本の為、わしと一緒に来るぜよ。あん人もそれを望んどるき」 「……出来ません。私はもう、新撰組隊士ですから」 その時、数人の足音が近付いて来た。 「坂本さん!今日こそ、お縄に就いて下さいよ♪」 追いついた沖田が微笑みつつ、抜刀した。 沖田と共に追いついた他三人も、武器を構える。 「おぉ、沖田かや、久しいのぉ〜」 そう言いつつ、坂本も両脇のホルダーに入っている二丁の拳銃を構える。 「……綺麗な着物が汚れるぜよ?」 が、途端に坂本は首筋に当てられた刀に意識を集中させると、冷や汗をかき始めた。 「言った筈です、私はもう新撰組隊士だと。双方、武器を下ろして下さい」 そう言う藤乃の声色は冷たく、威圧感があった。 坂本の発砲を止めるべく、藤乃は懐から咄嗟に小太刀を抜いたのである。 暫しの沈黙後、双方藤乃に言われた通り武器を収めた。 「坂本さん、今日の所は見逃します。ですが、薩長同盟を辞めて頂けませんか?」 警告を兼ね、藤乃が問う。 が、勝手に見逃す藤乃に原田は口を開きかけたが、斎藤に止められ押し黙った。 「無理やか、この同盟には日本の未来がかかっとるきに。これだけは、譲れんぜよ」 命懸けで同盟締結に尽力を尽くす坂本は、当然真剣な眼をして拒絶の答えを返した。 「……警告はしました。勝様に宜しくお伝えください」 それだけ言うと藤乃は小太刀を収め、数歩後ろに下がった。 「クールガール、おんしは何があっても死んではいかんぜよ。おんしはわし等の希望、日本の 夜明けを飛翔する鷹やき。また会おうぜよ、鷹の子よ」 そう言うと幕末の風雲児、坂本龍馬は仲間の待つ四国屋へと駆け出して行った。 「鷹の子……か」 「お怪我はありませんか?藤乃さん」 父親の名高さに溜め息を吐いた藤乃に、心配していた沖田は声を掛けた。 「うん、大丈夫。山崎さんもありがとう、もう出て来て良いですよ」 山崎が居る事に気付いていた藤乃は、近くの木を見上げると声を掛ける。 すると、木の上で事態を窺っていた山崎が軽やかに飛び降り姿を現した。 「何事も無くて良かったですね、一応、万一の場合の備えだけはして置いたんですが――……」 必要ありませんでしたね、と言う様に持っていた吹き矢を懐に仕舞った。 「……何故、この末路を選んでしまったんです。同盟を辞めない、貴方が悪いんですよ……」 坂本が去った後の道を見詰め、藤乃が静かに呟いた。